隠居の独り言(1344)

朝夕電車で通勤しているが、乗客の猫も杓子もスマホに夢中で周囲の人のことには
まるで無関心で、例え車内放送で「優先席付近での携帯の電源をお切りください」の
放送にも知らん顔でスマホから目を離さない。今のスマホ漬けになった大人や若者の
未来像を考えると暗澹となる。ゲーム、ビデオ、ケータイといったパーチャルメディアに
子供の頃から嵌りこんでしまうと自分の周りの世界がボタン一つで操作できる錯覚が
人間の基礎である感情のきめ細かさが未発達になり人間形成としての歪みが生じる。
優先席に座る若者や大人は席を欲する年寄り、障害者、妊婦が来ても席を譲らない。
常識からいえば、他者の痛みを思いやる優しさは家庭や学校で教わってきたと思うが、
それとも、だらしない親の日常で育った未熟児だろうか。そんな人間が多くなっている。
柳田邦男の著書によれば、ある学校で、子供が校庭の石を投げて窓ガラスを割った。
当然、子供は先生に叱られた。ところが翌日、子の親から学校に電話が掛かってきた。
「大体、校庭に石ころがあるのが悪い。石ころがあれば子供が投げるのは当たり前。
子供を叱る前に石ころを片付けるべきだ・」記事を見て暗然となる。一部の親だろうが
ここまで自己中心的な反応の凄さに驚くと共にこんな親に育てられた子が可哀想だ。
当然子供なら川原などで石ころを投げて遊ぶだろう。でも遊ぶのとガラスを割るのは
本質が違う。校庭に石ころがあるのは当然だし窓ガラスを割る子は異常であり犯罪だ。
常識ない親がいっぱいいる。「クラスの記念写真でうちの子を端にしたのはどうしてか」
「給食の後、子供にごちそうさまと言わせるのはおかしい。給食費払っているのだから」
「うちの子は箱入り娘だから○○とは遊ばせないで」自分勝手な親の意見はキリない。
現在の親世代は1980年代あたりの高度経済成長期に生まれた世代でモノ・カネが
豊かになっていく時代に生まれ、その時代の親も生活水準を上げようと必死に働いて
子供を「いい大学・いい就職」目指して「お受験熱」ばかりで肝心の道徳教育を忘れた。
その辺りから日教組提案の「ゆとり教育」の実施が行われた。「ゆとり教育」は却って
受験競争を煽る結果になっていく。受験に勝ち抜くためには人のことは考えられない。
そして悪いことにバブル崩壊、会社の倒産など、生存競争意識を子供に教えなかった。
自分さえよければ人はどうでもいい。こうして長い間に積み上げられてきた日本人
の優しさ、きめ細かさの美意識が壊れていった。今までの常識なら考えられないイジメ、
DV、ストーカー、性犯罪が蔓延る。誰が悪いのでなく、みんなが自己中心過ぎる。