隠居の独り言(1346)

街でいい年配の夫婦が「パパ」「ママ」または「お父さん」「お母さん」と呼び合っている。
二人は親子でなく、きちんとした夫婦なのにその呼称で呼び合うのは絶対におかしい。
他国は知らないが日本では最も小さい者から見たときの呼び名で呼び合うのが多い。
我が家も三世代で祖父母のことを娘にとっては親なのにお爺ちゃんお婆ちゃんと呼ぶ。
孫たちも兄弟が多いので長子から順に名前でなく「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼称し
爺婆も夫婦なのに「爺さん、婆さん」と他人様に言うのも変な習わしの日本語だと思う。
家族の中で孫と話すときも一人称の「自分はね」でなく「お爺ちゃんはね」と話している。
考えれば家族の呼称で最も偉いのは最も小さい者で、そこが出発点となって呼び合う。
しかも家の中だけでなく外へ出かけて子供がいなくても「ねぇパパ」「なんだいママ」と
呼び合う夫婦は傍目にも何だかみっともない。といって多くの人も一人称では自分を
ボク、ワタシと言わないで「ナオミ、寒いよ」「ヒロシ、遊びたいよ」と自分の名前を言う。
大人になっても自分名で自ら言う人も多いが、これは幼児語の擬態に過ぎないと思う。
子供の頃に家庭や小学校の教育で一人称は自分、二人称は相手、三人称は他人と
きちんと教えなかったのが言葉の乱れで、また今の子供の読書の少なさも要因だろう。
若い人の謙譲語の使い方もお粗末で、例えば他人から「お父さんはお元気ですか」と
聞かれ「ハイお父さんは元気です」と答えている人がいるが、相手には親の呼称は
「父とか母」と謙譲語を使うのが正しい。昔は寺の住職がきちんとした日本語を話した。
住職は京にある本山で小僧の修行と学問をし合わせて行儀と言葉遣いを身につけた。
現代の寺は法事がらみだけだが、上質な日本語を継いだはずの学校はひどいもので
児童も先生に友達感覚の話だし、先生も言葉の習得を殆どしていないのが一般的だ。
日本語の乱れが指摘されて久しいが、元を質せば家庭から敬語が消えたのが原因で
今の少子高齢化で兄弟の少ない子に親が密着し過ぎとか、子の自立が遅すぎるとか、
子供がいつまでも親に頼りすぎているのも原因だろう。今、問題になっている晩婚化、
夫婦のセックスレスの遠因も呼称からのもので身体は大人でも言葉は子供のままだ。
若い夫婦がパパ、ママでは男と女の対象には成り難い。昭和初期の夫婦は「おまえ」
「あなた」であり、家族間も目上には「さん」の尊称を付け、兄弟は名前の呼び捨てが
普通だった。自分は戦前育ちなので子や孫に対してきちんと名前を呼んで接している。
ヤマノカミに対しも「おまえ」と呼んでいるが、いつか頭が老いて「ばぁさんや、
おみゃぁ、だれだぁ・・」そんな将来の自分が見え隠れする。