隠居の独り言(1354)

今年もまもなく終りで来年になれば歳を取らなくてはならない。自分は取りたくないと
言っても取らなくてはならないのが、この世の定め。歳なんて取らなきゃよかった、と
誰もがそう思うが歳を取るというのは未知の世界を歩むことで本来なら祝福ものだが
老後の道は険しく、山の尾根道を歩いているようで、滑落の危険は絶えず付きまとう。
齢を重ねると、心が僻みっぽくなり人を困らせることも多いがそこは大目に見て欲しい。
若い人は年寄りの気苦労を察することなく邪魔者扱いするが将来、君たちもそうなる。
息子を装った詐欺に遭う老人は、しっかりのつもりでも騙される被害は痕を絶たない。
情けないが歳に勝てない。機械の部品が古くなれば傷むように、人間の部品も同じで
老人は体や頭の衰えは必至で、子も独立した老夫婦なら老々介護の試練も覚悟しよう。
失うことが老いの形であり前は歳のことは言いたくなかったが、でも来年は82になる。
といってどうすればいいかわからない。自分には82歳の経験は初めてなのだから・・
幸いにも最近のドック検査の結果は殆ど健康であったが、だからって寿命に関係ない。
誰でも、お迎えは100%だから、そのときまで健康の神さまとお付き合いを願っている。
年齢を重ねるごとに知人友人が減っていく。喪中葉書が増え年賀状の数も減っていく。
或いは「永遠の別れ」の友も、或いは「去るもの日々に疎し」の人も、時は非情なもの。
つい最近までは年齢とは単なる符丁みたいに思っていたが、世の中は許してくれない。
来るもの拒まず去るもの追わず、年寄りの教訓にしたい。人を頼りにしてはいけない。
連れ合いも子供も孫とて同じ。まして、他人に期待するのは自分が惨めになるだけだ。
歳を重ねるごと、寂寥感が増していく。先輩たちはこうして淋しく生涯を終えたのだろう。
最近とみに報道される老人問題のウツ、痴呆、介護、孤独死、等々も他人事じゃない。
斯く言う自分も本当は怠けたいが老骨に鞭打ってボケ予防に家事や趣味に精を出す。
けれど若い人が変に気遣ってくれて家庭の中でも、仕事の面でも友人との付き合いも、
年寄り扱いにされる場合もあるが気持ちを嬉しく受け取りたい半面、チト寂しいもので、
その気分は老いて初めて分かる。なんでも楽観的に考えるのが得策だ。いいほうに、
いいほうにと考える。心配をしたり塞いだりするのが年寄りには最もいけない状態だ。
年寄りになってくると、ついつい発してしまうのは「どっこいしょ」と「面倒くさい」だが
ボケが早く到来するパターンの言葉という。そして「歳だから」と言うのもやめにしたい。
命は神さまからの預かりもので必ずお返ししなくてならない。その日まで元気でいたい。