隠居の独り言(1355)

今年のブログも今日で終わる。今年で81年余を生きたが、その分多くの人に出会い、
多くの人と別れた。出会いとは不可思議なもので一期一会も、一生の付き合いもある。
旧友は残念ながらネットをしている人が殆どいないので年賀状が唯一の存在に思え
便りが来ればひと安心し、もう会うことも叶わない旧友の文章の温もりは嬉しいものだ。
鳥のヒナは卵から孵って、初めて目に映ったものを親と思うらしい。人も同じ生き物で
誕生して初めて母に抱かれ、母の乳をねだって泣き、助けを求める。だから幼い頃の
環境がいかに大切か、各人の生涯の基本が親の育て方で決まるといって過言でない。
森羅万象全てが出会いと別れで悠久の時が流れる。魚も鳥も孵った卵の時は一緒に
くっついているが殻を割ったらすぐに別れが待っている。それぞれ独り立ちして生きて
いかなければならない。自分も15歳で親元を離れ人さまのお蔭で今まで生きてきた。
苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、渡る世間に鬼も付き物だが、負ければ自分が無い。
人生は出会いと別れで「ひとつの生」「ひとつの生涯」が決まる。人は素晴らしいことに
一個ずつ自分だけの心と肉体を持っている。こればかりはスーパーコンピューター
敵わない。自分だけの特権であり自分以外、立ち入ることのできない無二の宝物だ。
だからこそ限りある人生を大切にしたい。今年2014年、間もなくお別れの時がくる。
二度と来ない2014年。晩年における充実と愛惜に満ちた一年だった。人間の一生は
登山に似ている。登山は頂上を極めるだけでなく無事に下山することも大切な仕事だ。
人は頂上からの下り道をどう人間的に充実して終わらせるかで人間の価値が決まる。
歳を取れば体は老いるが、心は老いることなくむしろ蓄えられ育まれていくものと思う。
終活という言葉は好きでないがそろそろ死出の旅路のスケジュールを考えておきたい。
作家・井伏鱒二漢詩から取ったという言葉「さよならだけが人生だ」は真理と感じる。
クリスマスが過ぎて、大晦日紅白歌合戦のトリが終わると除夜の鐘が聞こえてくる。
鐘の音は今年の煩悩を消し、一年の出来事を振り返えらせ人々は仏教に心を寄せる。
年が明け雑煮を食べ、お年玉を配るのは儒教の教えであり、初詣は神社に参拝する。
つまり日本人は一週間でキリスト教、仏教、儒教神道と信心を変え、何の不思議なく
年末年始の風物詩と捉えている。これが日本人のいいところ。恒久の平和を信じたい。
言うまでもなく自分は日本人だが、輪廻転生、生まれ変わっても日本人に生まれたい。
この日本で暮らして81年余。まだ明日がある。来る2015年も夢多い一年でありたい。
それでは、みなさま、良いお年をm(_ _)m