隠居の独り言(1356)

今年も慌ただしさばかりの正月三ガ日が過ぎて、やっと新年2015年の気分になった。
これでも自分は小さいながらも一国一城の主で、家族は子供二人、孫六人、そのうえ
家で長男なので親戚付合いは欠かせないし、吹けば飛ぶような小さな商いもしている。
この立場になって数十年が過ぎたがみんなの協力があってのことで感謝に堪えない。
振り返れば、子供の頃の正月の大人は家で寝正月、子供は外で羽根付きやコマ回し
凧揚げで遊んだが、正月の風情もすっかり変わって、現代ではコンビニもスーパーも
元旦から店を開け、二日にはデパートが華々しい福袋を用意してお客は殺到し商売
繁盛で忙しい。昔の女たちは年末に正月のおせち料理を作って台所が忙しかったが、
その必要は無くなった。今は「おせち」の意味も変わり、正月の目玉商品になっている。
ウン十年前までの年末は滅法忙しく、その分、年が明ければ静かな雰囲気が漂った。
テレビは正月休暇旅行のニュースで混雑情報を流している。列車も飛行機も超満員、
高速道路は何十?渋滞の映像を見て、混雑ざまぁみろと独り微笑む意地悪爺さんだ。
みんなが帰省や休暇旅行に出かけた分、東京の空はいつになく青く澄み渡っている。
ふるさとへ帰った人も大勢いるだろう。でも自分は既に、ふるさと東京で新春を迎える。
孫どもの襲来後の楽しみは大学箱根駅伝だ。2日朝から普段あまり見ないテレビから
付かず離れずに選ばれた二十数校が学校の名誉を背負い死闘をくり広げる姿を見る。
そして3日には駅伝の最終ランナーを見に、日本橋三越傍の交差点付近に出かける。
そして帰りに三越で年賀用品を求めて帰路につく。最近の我が家のお正月の恒例だ。
我が世の春の気分で今年も相変わらずの拙文ブログを続けたいので宜しく願います。
このブログは、どちらかといえばエッセーモドキだがエッセーは若者はあまり書かない。
エッセーストは随筆家ともいうが昔の有名作家も20代頃に随筆を書かなかったのも
やはりエッセーはある程度の人生経験がないと短い作文の中に文字が埋められない。
エッセーとは小説でもないし作文でもない。つまり人生経験を綴る4コマ漫画のようだ。
ワシントンは桜の木を切って父親に叱られた。野口英世は幼い時、手にやけどをした。
有名人の回顧録ならいざしらず、善良な市民が自分史を書いても面白くも何ともない。
しかし、自分も小学生のころ鶏を絞め解体し家族で食べた残酷なことも自分史に入る。
今年も恥も外聞も捨てなりふり構わず書く。ボケ予備群として暖かく見守って頂きたい。
でも、こればかりは現世の定め。最後まで年寄りの戯言を読んでやってくださいませ。