隠居の独り言(1383)

今日4月16日82歳になる。昭和8年(1933)の今日、大阪市東区平野町で生まれた。
1933年という年は世界動乱の始まり辺りで、日本が奈落の底まで堕ちたスタート点だ。
自分が母の胎内にいた1月、ドイツでナチスが政権を取りヒトラーが首相に選ばれた。
そしてその後、日本がドイツと軍事同盟を結んだ愚かさが今は何としても悔やまれる。
3月には三陸沖大地震があって4年前の東日本大震災と同じ規模の津波の被害で
3000人以上の人が犠牲になった。同月には満州国不承認を不服として国際連盟
脱会したのも日本の孤立を深めた。翌年には満州事件、そして大陸では支那事変、
国内は2,26事件と奈落の道の加速度が増していく。そんな20世紀動乱の申し子だ。
考えればひどい時代に生まれたものだ。子に物心が付くのは大抵5-6才の頃だから
平和な大阪の街も徐々に戦時色が出てくるのを感じ始めた。父も兵役で姫路師団に
入隊し方々で出世姿の万歳の声が聞こえてくるのも当時の時勢だった。小学3年の
昭和16年12月8日早朝、真珠湾攻撃で世界大戦に突入したのも成り行きだったろう。
国家も個人も、物ごとを冷静に振り返えるということの難しさを嫌というほど知らされた。
勝ち戦しか書かない新聞を真面に信じ、軍国少年として浮かれていたのも時代だった。
敗戦・飢餓・貧乏・諸々の苦労と惨めさを体験して、よくぞ生き残れた運を噛み締める。
82年という歳月は過ぎれば長いようで短く過去の喜怒哀楽も夢幻のように見えてくる。
一幅の絵巻物として、自分の人生を八番勝負(単位10年)として描かれたらこうだろう。
10歳まで勝ち(誕生・父母との生活)、20歳まで負け(飢餓と貧乏)、30歳まで負け
(小僧・結核)40歳まで勝ち(独立・結婚)50歳まで勝ち(仕事)60歳まで勝ち(孫誕生)
70歳まで負け(ガン)、80歳まで勝ち(仕事・趣味)となって一応5勝3敗の成績だが
戦争と失恋は含まれていない。これを足し算すれば引き分けだ。まぁこんなものだろう。
今までの人生決算書は黒字・赤字のちゃんぽんだったが、残りの人生を大切にしたい。
今、オマケの人生を歩んでいる。オマケの人生とは誰も自分を叱ってくれないことだ。
子供の頃はヤンチャばかりで随分父に叱られた。この歳になると例え間違いあっても
誰も咎めはしない。もう一度、父に叱られたいと思う。「お前は何をやっとったんや」
「生涯通じてアホばかりしおって、バカもん!」誰からも叱られなくなって老いが始まる。
ヤマノカミからの煩い叱りも、よしとしよう・・