隠居の独り言(1396)

戦国時代に細川忠興という武将がいた。父の細川幽斎有職故実に優れた教養ある
文化人として知られており嫡子の忠興も文武両道に非常に優れた武将であったという。
また夫人は明智光秀の娘で、ガラシャ夫人として大変な美人であったと世に知られた。
関ヶ原の合戦の折は東軍・徳川方に与し、武勲により小倉40万石の大大名になった。
元総理・細川護熙氏のご先祖であることは言を待たない。本題は忠興が或る一芸に
秀でていたこと、それは「兜のデザイン」という特技であり、多くの武将が忠興に
兜のデザインを依頼した。あるとき某大名に頼まれた兜の正面に長い水牛の角を付けた。
ただし本物の水牛の角でなく、軽い桐の枝に漆を塗って水牛風に仕上げたものだった。
依頼した大名は「ニセの水牛の角ではないか」と難色を付けた。忠興は即座に答えた。
「戦場では木の枝に引っかかることがある。そのとき簡単に折れたほうが実戦的だ」と
言ったという。忠興の優れた才能は将来を見据え、「たえず仮説を立てる」ことだった。
彼の人生の大きな岐路は「本能寺の変」「関ヶ原の合戦」だったが「本能寺の変」では
嫁の実家である明智を捨て、将来の展望明るい羽柴秀吉に味方し家を守るに徹した。
関ヶ原の合戦」では石田三成の西軍有利の状況で、西軍の武将たちに働きかけて
東軍の勝利に結びつけたのは徳川家康に恩を売ることと大大名になる戦略であった。
それはいつも将来の仮説を立てて練りに練った戦略と実践が、戦国時代から平成の
今日まで400年以上の細川家が続き、総理まで生んだ原動力になった要因であった。
忠興ならずとも学問・勉強とは「たえず仮説を立てる能力」であることは言を待たない。
先の戦争の失敗も、国のリーダー達が「仮説を立てる」ことをしなかった愚さが原因だ。
今、国会での集団的自衛権憲法問題、原発再稼働、辺野古基地などの問題山積も
将来に亘る「仮設を立てる」ことの意義を問われている。政治家も、国民も、マスコミも
戦前の愚行を繰り返さないためにも、いっときの感情に走ることなく、冷静に考えたい。
アメリカとの集団的自衛権がなければどうなる。憲法9条を先送りしていたらどうなる。
原発再稼働なしで日本経済はどうなる。辺野古の基地の建設なくて普天間はどうなる。
例えば憲法9条、戦後1947年に憲法が国会審議されたとき、共産党野坂参三
9条の非戦、非武装に反対演説をしている。その時点の共産党の仮説は立派だった。
それが今では護憲の先鋒を行っているのは何故だろう。かたや当時の自民系は
GHQの作成した新憲法を全面支持したが、時は占領下だった。今では改憲論に走る。
マスコミや国民感情は、その日、その時の事情で、将来の「仮説を立てない」危うさは
戦前の軍国主義の暴走した様相や、戦後の全学連にも似た気がしないわけでないが、
でも戦前は言論の自由は無かった。今は何でも言える時代だからこそ将来の日本を
誤らないでほしい。中国や北朝鮮からの危機感をよそに国会では不毛の論議が続く。
「戦争法案」のレッテルを貼って、何でも反対の野党と一部マスメディアは何をもって
日本の安全を担保できるか。平和の反対は戦争でなく国民・国土をきちんと守る事!
民主主義の基本は、言論の自由と将来の冷静な展望と、そして人間味と思う。