隠居の独り言(1397)

今年の夏の暑さと、景気上向き傾向なのか、帽子が盛んに売れている。帽子屋稼業に
携わる者としてこれほど嬉しいことはない。といって売れるのが素直に喜べないのは
帽子を作る職人が激減したことだ。激減どころか、間もなく絶滅してしまう運命にある。
わが社も受注があっても応えられない寂しさと悔しさは現場人間でないと分からない。
まして季節物を扱う工場は繁閑の差が激しいので職人の手間や生活もままならない。
昔は帽子の種類が多くなかったせいもあるが、例えば学帽を縫う職人は一年を通じて
一つ仕事で他種を縫うことはなかったし、決められたように一日中、学帽と向き合った。
それだけの仕事もあったが収入も安定して普通のサラリーマンよりも沢山稼いでいた。
職人になることは苦労も多いけれど、それに見合った安定した生活も保証されていた。
多くは腕に自信と誇りを持っていた。それが時が変わり安い外国産に流れていったが
それは仕事と収入が減り、不安定になり、やがて転業廃業に繋がるのはとても悲しい。
何世代も仕事を続けていた職人や問屋も後継ぐべき息子も職を変え家を出ていった。
追い打ちをかけるように人々は安価な商品を求めて、外国産を買うようになったのも
産業の衰退に繋がったのも当然だろう。農業のように政府からの保護政策もなかった。
これでは帽子を作る職人稼業が、近い未来の絶滅危惧種に指定されても仕方がない。
自分が上京して帽子屋に小僧として修行した昭和20年代の頃は終戦後の物不足の
時代でも街ゆく男の人の殆どは帽子を被っていた。たとえ着るものがボロであっても
履くものが下駄や草履であっても、頭上に帽子のある風景は当時の写真が証明する。
子供たちは学生帽、大人たちは鳥打帽、洒落た紳士は中折れ帽、帽子の時代だった。
職人は需要に応えるため休日も惜しんで働き家族も協力して一家総出の仕事だった。
でも「栄枯盛衰世の習い」自由主義という名のもとで、始めに学生たちが学帽を脱ぎ
大人たちもリーゼントスタイルで帽子が邪魔になり、帽子屋に冬の時代がやってきた。
自分が独立したときは帽子屋にとって初冬の頃だったが、どうやら首が繋がったのは
お得意先の好意と、職人たちの協力によるもので今も頭が上がらず感謝このうえない。
上場企業に名を連ねた会社も、いつの間にか転業もしくは廃業して忘れられていった。
そんな時代を自分は生きた。喜劇も見たし、悲劇も見た。景気の良い時に財を築いた
運の良い人もいたし、借金をし過ぎてヤクザから殴る蹴るの制裁を受けた旦那もいた。
帽子屋産業の将来はどうなるだろうか。小売屋は仕入先を探せば何とかなるけれど
作る人がいなければお手上げだ。職人は何年かの修行が必要だが若人はもういない。
実際に仕事をしてみるとミシンに座って生地を睨めっこする暗い環境では辛いもので、
それも手間が良ければいいが、それも少ないとなると、益々人材不足は避けられない。
量産品のMade in Japanは望むべくもない。これからの若い人の知恵に期待したい。