隠居の独り言(1410)

夏が来れば思い出す。其の貮。1941年12月8日、早朝、「臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋に於いて
アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」とのラジオニュースで叩き起こされた。
いわゆる真珠湾攻撃で大戦に突入した。あの奇襲で戦争が始まった事実は米国民に
騙し討ちの汚名を着せられ戦争末期における硫黄島、沖縄、原爆等の口実にされた。
開戦時の総理大臣は東条英機。頭の天井から足の爪先まで軍国に染まった少年は
東条を神さまのように崇め、東条のロイド眼鏡もチョビ髭も軍服姿も全てが信仰だった。
将来は将校になって東条閣下のように格好よくなりたい。単純な軍国少年の夢だった。
戦後にようやく夢が覚め、東条英機という人物を冷静に紐解くと何故か虚脱感が伴う。
東条という人物は当時の官僚組織での順番で首相の机に座っただけにすぎなかった。
ヒトラースターリンのようなカリスマ性もなく、世界征服の目的も思想もなく、まして
別段の戦略的能力も皆無で、どこにでもいる一般的な実直者というだけの人物だった。
その程度の人が周りの気違い連中に担ぎ出されて内閣を組織し手続きで対米戦争を
布告し、遂に日本を滅ぼしたことは周知の通りだ。当時の国会は有って無きが如し。
軍部の時代的気分の統帥権という法で明治憲法を悪用し東条英機は祭り上げられた。
当時の軍の模範は日露戦争だった。日露戦争を実際に戦った兵士は正規の教育を
受けなかった人が多く、そばに陸軍大学を卒業した参謀が指揮をとり結果、勝利した。
以後、軍は秀才主義をとり全国の少年を選抜し士官学校に入隊させ学校の成績順で
序列としていった。東条はその履歴の順番で首相ポストになっていただけに過ぎない。
東条が首相になったとき中国大陸ではシナ事変という訳のわからない戦争をしていた。
戦略というのは本来、国にとって得なのか損なのか、利益計算上に立つべきものだが
当時の軍部に訊ねたいのは中国と戦争をして何の利益を引き出すつもりだったのか。
国家予算の大半を使い何の利益も生まないシナ事変を続ける意味がどこにあったか。
そんな阿呆をしながら一方では滿蒙国境でソ連ノモンハン事変を起し木っ端微塵に
日本が負けたが、その敗因のソ連との兵器や物量の圧倒的な違いを検証していれば
その後の太平洋戦争もなかったし日本の国力を判断できたはずなのにとても残念だ。
ソ連と比べても遥か優秀な兵器と豊富な物量を誇るアメリカに戦争を仕掛けるなんて
普通の常識で考えられないしアメリカもまさか戦争になるとは思いもよらなかったろう。
政治というもの、言論というもの、いつも正気でいなければならないという平凡な事を
忘れてしまった無謀な戦略の末は奈落の底まで堕ちてやっと醒めた日本人であった。
戦後の極東軍事裁判で東条は絞首刑に処せられたが憎しみより哀れさが付きまとう。
日本史は世界に誇れる素晴らしいものだが、できれば昭和初期の部分を削除したい。