隠居の独り言(1413)

夏が来れば思い出す。其の五。青い空に入道雲がハンカチより真っ白に湧いている。
あの入道雲を見ていると様々な感傷が頭の中を掠めて行く。八十余年の人生の中で
何度、入道雲を見たか数しれないが、昭和20年8月15日の入道雲は生涯忘れないだろう。
学校で先生が「今日は何か重大ニュースがあるらしい」生徒等は妙な感じを抱いたが、
まさか終戦玉音放送とは知る由もなく先生も生徒も聞いてもにわかに信じ難かった。
戦争が終わった時の一億日本人全ての悲しみと苦しみの感情を入道雲は知っている。
今でこそ終戦によって何でも自由に言える、聞ける、もう徴兵や弾圧に怯えなくてよい、
解放されたと人は言うが、終戦玉音放送を聞いて、ただ茫然として心を失っていた。
あの日はとくに暑かった。入道雲の下で焼けるような暑さの記憶だけが今も消えない。
戦争世代を生きた当時の日本人の殆どが、戦争によって人生を大きく変えさせられた。
ある者は戦死し、ある者は家を焼かれ、ある者は財産を失い、ある者は飢えて死んだ。
戦争が終わって外地にいた人々も命からがら戻ってきた。戦争に負けるということの
惨めさ辛さを日本人は初めて味わった。少年の心の髄まで染みた夏の体験であった。
終戦近くには軍国少年としての誇りは日本軍が緒戦で勝っていたころと変わっていた。
昭和19年頃から、学校も授業より学徒動員で小学生も近くの山の開墾で鍬を持って
兵隊さんのように軍歌を連唱しながら行進した。20年に入れば食糧難、日々の空襲、
「鬼畜米英」と叫ぶ意欲も失せていた。戦争とは何だったのだろう。今でも分からない。
生まれた昭和の初期には世界大恐慌を経て、世界中が独自に自分勝手に振る舞い、
日本だけでなく世界中が他国への思いやりを失っていた。狭隘さが愛国心で世界の
全体主義の温床となった。イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーソ連スターリン
そして日本の右翼等が「自分さえよければいい」のファシズム思想が大戦へと進んだ。
そこには文民政府は無く、国民の意思の反映も無く、マスメディアの正論さえ無かった。
日本は国力もないのに猫一匹が虎の威を借りてジャングルを暴れていた格好だった。
象徴的な日本連合艦隊は軍艦を走らせる石油の殆どをアメリカから輸入していたが、
その首根っこを押さえられた猫が飼主に噛み付いたような笑えぬ悲劇の戦争をした。
それに罪が深いのはマスメディアで、鳴り物入りで戦争を囃したて、悲劇を倍加した。
世界観も国力も思想もない猫一匹は幻想だけで戦争を始め、何も知らされていない
国民も一緒になって踊ったのも時の流れというべきだろう。もう誰も止められなかった。
なぜ当時の政治家やマスメディアが、理性も冷静さも失っていたのか今でも解せない。
明治の人が命懸けで作った日本という素晴らしい国家を僅か20年で潰してしまった。
元の木阿弥になったけれど、しかし日本らしく身の丈に合った国家の時代の方がいい。
日本人がみんな仲良く暮らせる時代が再来すると信じたい。あれから70年が過ぎて
今年の夏も青い空に入道雲がハンカチより真っ白に湧いている。