隠居の独り言(1423)

昔は、考えられなかった事件が最近多い。中学生殺人事件はショックだが、その前に
そもそも中学一年で夜間に宿泊先を探すなんてこれが今の若者の常識なのだろうか。
犯人は憎いが、それと子供が深夜に町を放浪するのを許す親の風潮も問題だと思う。
最近とみに若い男女に絡んだストーカー被害や、別れ話の縺れから男が女を殺める
陰惨な事件が後を絶たない。その殆どは男の一方的な片思いが歪んだ形で短絡的、
衝動的に女を殺してしまうケースが多いのが特徴でしかも似たような事件が多すぎる。
昔はこんな事件は殆ど無かった。それでは男女関係の昔と今とどこが違うのだろうか。
曲解と偏見を承知で言わせて頂ければ、昔はあった岡場所が無くなったからだと思う。
人類何万年の歴史は群れで生活し、ボスの男が女を多数支配するのが習わしだった。
ボスから外れた多数の男どもと、一方でボスから離れた女たちが男に春を売り生きた。
男という動物は単純なもので、溜まった精力を瞬時発散すればそれだけで満たされる。
とくに女性は誤解のまま結婚に至るからこんなはずじゃなかったと後悔する人も多い。
時代とともに形は変わっても基本的な男社会に変化なく、それは昭和の代まで続いた。
自分の知っている範囲で言えば、住んでいた下町には、そんな岡場所が多く存在して
当時の男は気軽に女遊びをした。とくに神社に岡場所はつきもので、例えば酉の市の
帰りに吉原で遊ぶのは通例だったし「伊勢は津で持ち、津は伊勢で持つ」もその例だ。
平成のモラルでは考えられないけれど昔の男の殆どはいわゆる「遊里」で男になった。
日本では昭和31年(1956)に所謂、売春防止法が施行されて、売春は社会の風俗を乱す
ものとして禁じられたが、果たしてこれで良かったのか、今でも論争が続いている。
表向きは禁止でも売春は無くならない。むしろ裏の怖さを知るべきで、援助交際など
暴力団や病気が恐ろしい。それならきちんとした公娼制度を設けて女性を守るべきだ。
諸外国でも条件付きながら公娼制度のある国も多く、男女の生理を認めざるを得ない。
前にも書いたが、韓国の慰安婦問題も同じことで韓国や台湾のトップたちは人類史や
近代史を紐解くといい。この件は日本に賠償を求める口実にしているとしか思えない。
この世に男と女が存在し、互いに相手を求め合う自然の行為を法律で禁ずることは
いかがなものかと考える。モラルはモラルとして尊重しながら人間の基本を勉強しよう。
本来なら人類学的にも男女の「性」の仕組みが違うのを突き詰めなければ解決しない。
無論、一夫一婦制は家族の基本であり、最も尊重することだけに、最近の事件を機に
真剣に考えなくてはならない宿題を我々に突きつける。けっして事件は他人事でない。
くだらない男の犠牲になった被害者が可哀相でならない。