隠居の独り言(1430)

上野にある子規庵を訪れた。言うまでもなく明治35年9月に亡くなった正岡子規
臨終を迎えた長屋の一角で山手線・鶯谷駅から徒歩5分の台東区根岸の路地裏で
建物は戦後に再建されたものだが、子規が住んでいた明治の古い風情が残っている。
子規は死の前日、虫の息で俳句を詠んでいる。「へちま咲いて痰のつまりし佛かな」
だから子規の忌日を「糸瓜忌」と呼ぶ。長らく東京に住みながら子規庵を訪ねたのは
初めてだった。気の毒に子規は肺病から脊髄カリエスという凄絶な病を背負いながら
この場所で過ごしたが絶筆の「病牀六尺」には「拝啓昨今御病床六尺の記二、三寸に
過すぎず頗すこぶる不穏に存候間ぞんじそうろうあいだ御見舞申上候達磨儀だるま
ぎも盆頃より引籠ひきこもり縄鉢巻なわはちまきにて筧かけいの滝に荒行中あらぎょう
ちゅう御無音ごぶいん致候いたしそうろう。俳病の夢みるならんほととぎす拷問などに
誰がかけたか・」つまり、病牀六尺、これが我が世界だ。しかも病牀六尺が広すぎる。
僅かに手を伸ばして畳に触れることはあるが、布団の外へまで伸ばして体をくつろぐ
ことはできない。正岡子規という無二の俳人をここまで苦しめる世は何と無情なのか。
昔は、結核は「死の病」とされ恐れられたが子規の生まれる時期が早過ぎたのだろう。
自分も歳を取ったせいか、子供の頃読んだ書籍や唱歌の故郷を訪ねる旅をしている。
島崎藤村を訪ねて小諸。室生犀星を訪ねて金沢。石川啄木宮沢賢治を訪ねて盛岡。
竹久夢二を訪ねて伊香保森鴎外夏目漱石を訪ねて上野あたりをそぞろ歩くなど・・
自分が育った昭和の小学校の頃は本屋も少なく、あったところで買える身分ではない。
父は読書が好きで小さな本棚もあり少年はそれを読み漁った。子規の「病牀六尺」は
小説というより随筆だがこんな難しい文を意味も解せず少年はよく読んだと今更思う。
子規の生きた時代は明治の日清日露の戦争の時代で日清戦争では従軍記者として
活躍したが帰国後に脊椎カリエスを発症し、約10年の痛みに耐えた人生を送ったが
長く病床にありながらも精力的な創作活動で日本近代文学に献じたのは頭が下がる。
今の自分は司馬遼太郎ファンで、子規が登場する「坂の上の雲」を何度読んだだろう。
明治人の典型とされる子規だが本来なら文中にある親友・秋山真之のように軍人の
スピリットを充分に持った人物なのに、二人の運命は軍人と俳人という、それぞれが
卓越した道を極めたのは運命の神の持つ、はかりしれない真理であり玄妙な理だろう。
読書の秋。そして「糸瓜忌」は9月19日。