隠居の独り言(1434)

今年のプロ野球シリーズも残り少なくなった。自分は根っからのタイガースファンだが
今年もファンの期待を裏切った気がする。9月頃には首位にいたのに、その嬉しさも
束の間でずるずる連敗を重ねて、いつの間にか3位に落ちる情けなさは毎年の例だ。
想像の範囲で、野球ファンの数は巨人の次に多いと思うがチームにかける熱烈度は
他チームの追従を許さない。甲子園はもとより他の球場でも阪神ファンの応援ぶりは
なりふり構わないほどで帽子、ユフォームなどのグッズも他より最も売れているという。
今年は球団創設80周年。しかし日本シリーズで優勝を果たしたのは何と一回だけで
1985年、吉田義男監督が胴上げされたが、あれから30年、それでもファンを続ける。
今年も阪神日本シリーズ優勝の確率は殆ど無いがそれでも一厘の夢だけ残したい。
自分は若くない。若くないどころか人生のターミナルが間じかというのに今年も裏切る。
ここまでくるとタイガースは永遠の恋人のようで幾つになってもタイガースに拘るのは
未熟なチームに対して寛容さを持ち続けるという自覚があるからだろう。そのところが
阪神ファンの本音であり負けても負けても離れらない情愛めいたものが含まれている。
明けても阪神、暮れても阪神、ここまでくると信仰的なファンは阪神教信者ともいえる。
阪神球団創設は昭和10年(1935)阪神電鉄が「広告塔」のような形で名乗りを上げた。
関東の読売新聞の巨人についで日本で二番目に古い球団で、それだけ古くて裾野の
広いファンがいることで、自分の育った関西では当時から阪神ファンが圧倒的だった。
野球という言葉は明治の俳人正岡子規が名付けた。野球は野でするスポーツだ。
直訳だと塁球だろうし、中国的に棒球でもいいが「野」を選ぶとはロマンがあっていい。
野球の発祥地はアメリカだがアメリカと戦争中でも野球だけは愛好者は絶えなかった。
それだけ野球は日本人に向いていたといえる。あの敗戦直後の荒廃と混乱の中でも
子供たちは野球に夢中で、真に野球を信じ愛したという確信が少年の胸中に溢れた。
物のなかった時代、ボールは手縫いだったしグローブもバットも町のおじさんが作った。
チームが9人に限らず何の不自由なくルールを変え遊んだ。少年たちは花形選手の
藤村であり、別当であり、土井垣だった。野球少年たちは皆ニックネームを持っていた。
あれから70年が経ったが、少年の夢の続きは今も終わらない。阪神ファンならずも
贔屓チームの勝った負けたで一日の気分が上下する。そして、これから野球のない
ストーブリーグがやってくるが生きることを忘れた漂流者のように男たちは言葉を失う。
男の夢。たかが野球、されど野球だが・・・