隠居の独り言(1435)

若い頃「歌声喫茶」というのが流行っていた。新宿が発祥の地とされているが実際は
街のあちこちに似たような歌声喫茶が林立した。合唱する歌の殆どがロシアの民謡で
トロイカ、ともしび、赤いサラファンカリンカ黒い瞳、等々、ロシアの歌が受けていた。
リーダーの音頭のもと店内の客が一斉に歌うのが決まりで、伴奏はアコーディオン
ギターやピアノなどあり、ロシア民謡のほかに労働歌、反戦歌、唱歌も歌われていた。
それは「歌声運動」であり思想が絡んでいて、その思想が、その時代を反映していた。
革命、抵抗、団結、行動とかの、いわゆる左翼思想だったが、当時はそれが魅力的で
思想の染み込んだ歌を歌うのが、わけもわからず若者の心に浸透していたものと思う。
当時はソ連が健在の頃で共産主義の総元締めであるコミンテルン主催のミニ宗教で
あったかもしれない。ロシアが世界で一番正しい国でロシア民謡は聖歌のようだった。
それだけに歌声喫茶は政治的な匂いのするものだったが、同時に高度成長期のもと、
集団就職で単身東京に移住してきた青年たちの寂しさを紛らす心の拠り所でもあった。
青年にとって歌声喫茶で大きな声で歌うのは気持ちのいいもので、みんなと一緒なら
青春の連帯感を満足させてくれる魔術のようで若いだけに単純に心が大いに騒いだ。
そんな時「砂川闘争」という事件があり憲法問題にまで発展したのでシラけてしまった。
そしてまもなく60年安保があり当時の岸信介首相が安保改定に乗り出しアメリカ側と
話し合いで新安保が現実味をおび、やがて反対デモが活発化し左に染まった若者の
抗議デモは凄かったが政府はデモに屈せず新安保を成立させ日本の平和が保てた。
歴史は繰り返される。あれから50数年が過ぎ、今また当時のデモ隊の様相が蘇える。
先だって安保関連法案が参議院で可決されたとき、デモ隊の論理を支持した日本の
一部のマスコミは常軌を逸していた。選挙で選ばれた政権の政策より、デモ隊報道の
時間と詳細を多く割いたマスコミは報道の中立性の基本を忘れている。「戦争法案」
「徴兵制」など、法案から飛躍しすぎた言葉が一人歩きしているのは滑稽で反対なら
きちんと対案を示さなくてはならない。政権が道筋を誤っていたのなら、次の総選挙で
落とせばいいので、それが民主主義というものだ。デモ賛同の人だけが平和主義で、
そうでない人が間違いだという平和主義者は多数決の原理を学び直してもらいたい。
そもそも憲法9条の護憲論ほど好戦的な気がしてならない。なぜなら護憲は憲法
絶対で他の意見を聞こうとしないし少しの反論も許さない。いい加減にしてもらいたい。
日本人なら、もっと心を広く相手に寛容であってほしい。それが本来の日本人特有の
優しさだと思う。将来を見据えて、もっと冷静に考えたい。