隠居の独り言(1438)

自分は帽子職人だ。昭和24年に上京して帽子屋に入り、丁稚小僧して職を覚えたが
(関西では丁稚、関東は小僧で、住み込みで職仕事や商売の作法を親方から教わる)
自分が勤めたT商店では小僧が10人ほど同居し、仕事の他に家事一切を小僧達で
切り盛りし衣服支給だが、労働時間はAM7-PM10、休日は月一度、給与は500円也。
ちなみに当時の物価は、映画100円、天丼250円、背広上下10000円、(PC調べ)
小僧という徒弟制度も今はなく弟子入りする若い人もいない。職人というのは親方の
仕事ぶりを直接みようみまねで伝授されないと職が覚えられないのは自明の理だが
今は労働基準法とやらで徒弟制度は認められない。職場で弟子が何時から何時まで
働いて頑張ったからこれだけ給料を支払いなさいと・話の道筋としては間違いないが
職人というのは封建社会の中でなければ育たないということを「労働基準法」なるもの
役人は知らない。職人という手に職を付けるには相当な修行を積まねばならないが、
たとえ職人になっても、すぐ食べられるわけじゃない。相手の注文あってのことであり
相手の都合で仕事の時間は左右される。決められた時間から時間までを働けばいいと
いうものじゃない。しかも収入は個数による能率の単価であり数量をこなさなければ
稼ぎに繋がらない。数量や納期の関係もあって昼夜を問わず働く時間はままならない。
反面、仕事がなければ無収入なのは言うまでもない。人は誰も自分を基準にするが
役人の働く時間は役人だけのもの、その時間を基準に考えていては世の中通らない。
今ではPCや機械の急速な発達で少しはマシになったが、とくに最初の設計部分で
昔はカンに頼る部分が多く親方や先輩のしていることを覚える。それには住み込みで
なければ覚えられない習慣であり必須だった。といって出来る人と出来ない人がいる。
役人は時間通りに仕事をすれば同じ収入だが職人はきちんとしたモノを作らなければ
飯が食えない。また同じ職人も職種によって違ってくる。自分は帽子職人になったが
縫製というのは比較的誰もできるので今では東南アジアの職人の手間には敵わない。
日本の将来の職人は、もっと精密なもの、もっと考察なもの、もっと緻密なもの、もっと
難しいものに挑戦しないと、やがて職人が途絶える。モノ売る商人も考えて貰いたい。
上からの権力と黙って国の金が落ちてくる仕組みの役人に職人の気持は分かるまい。
先の戦争で徹底的に跡形なく壊されてしまった日本が立派に立ち直れたのは技術の
職人によるものだが、癪に障るのは復興したのは政治のせいだと政治家が宣うことだ。
苦労した者が報われる世間になって欲しいと切望する。敗戦で復活したのは優秀な
職人の持つ日本とドイツの二カ国だけだ。それなのに役人は収入もよく呑気に暮らし、
職人は寝るのも惜しんで生活のため働く。社会保障、給与、ボーナス、退職金、年金、
休暇時間、役人と職人の格差は段違いだ。元公務員の退職後の悠々自適の暮らしを
見ると複雑な気持ちになる。職人は年金少なく歳取っても働かないと食べていけない。
自分は政治のどの政党にも与しないが、平等な社会は人類の永遠のテーマだろう。