隠居の独り言(1441)

昭和37年、仕事独立と同時にナケなしの金を叩いて電話を買った。加入権の価格は
当時は相当に高かったが、電話は商いに必要で、またステータスシンボルでもあった。
時が過ぎ、今では小学生も個人の携帯電話を持ちその携帯もスマホに進化している。
通勤途中、電車に乗れば殆どの若い人はスマホを取り出し小さな画面に余念がない。
ちらり横からスマホの内容を覗くとゲームに夢中の人、ラインの返事を書いている人・
まぁ、それはそれで本人のご自由だが、何か時間の損をしている気がしないでもない。
ネット、ゲーム、メールを長時間やると、脳や神経に様々な弊害をきたす場合があると
学者や医者が警告する。むろん全ての人に弊害が出るわけではないが気を付けたい。
少し前まで、新聞や雑誌を読んでいる人を多く見かけたが今では少数派になっている。
最近の調査では学生や新入社員でPCを扱うことの苦手な人が多いという。スマホ
慣れてPCのキーボードを叩くことが少なく、学校の授業でもPCの初期的なことしか
教えない。家庭のPCが少なくなったのも経済的な理由やスマホに関係があるらしい。
確かにスマホは軽くて便利で、それだからってPCを疎かにするのは本末転倒だろう。
会社勤めは無論のこと、便利さにかけても、知識を得るためにもPCは絶対必需品だ。
若い人に言いたいのは携帯やスマホを使うなら、お金儲けでも勉強でも、何でもいい、
何か目的のため有効に使って欲しい。ゲームやラインに夢中になる時間が勿体ない。
小さなスマホの画面では目にも悪いし思考力も衰える。通勤時は目を閉じて休めよう。
スマホどころか電話もインターネットがなかった時代に育った自分だが誰かに連絡の
伝達手段は自筆で手紙を書くしか方法がなく当時の人は文章の書き順も慣れていた。
前文、主文、結語などの慣用語句も誰に教わることなく手紙を見て自然に身に付いた。
今の日本語の劣化はデジタルのメールや記号の発達で簡略化、幼児化、隠語化など、
軟化をしている最大の要素と思う。現代は完全にケータイ、メール依存の時代であり
日本人は書くどころか、まともに話せない人が増えている。日本語が乱れてきたとか、
言葉を知らなすぎるとかは、もう何十年も前から叫ばれているがアナログの時代から
デジタルの時代の移行で仕方ないのだろうか。文科省も日本語の危機を語りながら、
小学校から英語の授業をもっと充実したらどうかの論議にはなにかおかしいと感じる。
むしろ小学校の国語の授業時間を増やすべきだと思う。折角の日本語が泣いている。
最近はバイリンガルがもてはやされているが、それを誇るよりも日本語の大事な部分、
親愛語、敬語、社会語の使い分けがきちんと出来る人のほうが尊いし貴重な人と思う。
自分は残念ながら外国語にはまるで疎いが、今こそ深みある日本語の伝統の継承を
きちんとしないと、長い時間をかけて出来た日本語の遺産を急速に食い潰してしまう。
大切な日本語を、もっと大切にしたい。