隠居の独り言(1442)

年を取るということは命の大切と生きる喜びを身にしみ感じることであり、過ぎし日を
顧みて命の尊さを再認識することでもある。自分は幸か不幸か戦争体験者の一人だ。
戦時中は白河にいたが毎日の空襲警報で防空壕や森の中に逃げ、敵の機銃掃射の
恐怖は、いつ敵弾にやられてもおかしくない凄烈な体験で、夜は灯火管制で家中は
暗闇だった。関西から戦時疎開したはずだが戦争末期の安全な所は日本に無かった。
だから今も「今生きている喜び」を改めて嬉しく思う。戦中戦後の食べ物が無くて、
草や枯れ木まで食べた飢餓の経験も、生きる命のあることへの感謝の裏返しだろう。
商売を始め、最初の数年間はひどかった。借りた家は僅かひと間で仕事道具の上で
寝起きし、支払いの金不足で食べる回数も減らし、着るものも買えない辛抱をした。
そして今、夜、寝床に入り電灯を消すと生きる幸せを算えて、ひとり微笑み楽しくなる。
昔、ドイツのマレーネ・ディートリッヒが歌った「望みは何と訊かれたら」という歌の詞は
「望みは何と訊かれたら幸せと答えはするが望み叶って幸せになったら、すぐに昔が
恋しくなるだろう。あんなに素晴らしく不幸だった昔が・・」過ぎた日は美しく粉飾される。
平和の幸せ、食べる幸せは体験者でないと実感がない。これが本当の自分の至福だ。
今の若者たちが、今日生きる幸せを感謝する謙虚さを持って欲しいが、経験がないと
無理というもの。その意味で自らの生きた昭和の戦争の苦労は本当に良かったと思う。
昨今は八十の坂を越え、益々と幸せ感が高まっていく。たしかに老いるということは
身体機能が衰えて悲しいが、体力が落ち記憶力が落ちても、出来ないのは仕方ないと
今の状態を受け入れることができるようになったのも幸せ感に繋がる。数年前までは
商売も趣味ももっと発展させたいと願ったが気力体力の減退、年齢とともに今までの
更に上を目指した夢の価値観からの転換を受け入れられたのも八十路の悟りだろう。
百寿の方に「なぜそんなに長生きをされたのですか」との問いに対し「さぁ気づいたら
100歳になっていた」という言葉が一般的という。死は遠いもので実感ない感覚だろう。
専門家に言わせれば百寿者の特徴は、好き嫌いなく食べること、夜更かししないこと、
万遍なく歩くこと、飲酒はほどほどに、心は外向きに、だそうだが百寿者に見習いたい。
せっかく神さまから頂いた命だから幸せ感をいっぱいに人生を全うしたい。