隠居の独り言(1445)

11/2日、冷たい秋の雨が降りしきる日にテレビドラマ「寺内貫太郎一家」のお母さん,
女優の加藤治子さん(92)の訃報が伝えられた。数多くの作品で優しさと強さに満ちた
「日本の母」を演じてきた女優の加藤治子さんだったが、これでまた昭和が遠くなった。
「私はいつも天涯孤独」とおっしゃっていたそうだが、生涯に2度の結婚された相手も
失くして役柄の「お母さん」から想像もできないが、著名作家・向田邦子久世光彦
この人をどれだけ頼り別格扱いしていたかそれだけで十分過ぎるほど人柄が分かる。
慎ましく和やかで取り立てて美しいという姿がなくても挙措の中に日本女性の矜持が
輝いていた女優であり、今は亡き山岡久乃、森光子、京塚昌子さんなどが演じていた
「昭和のお母さん」が加藤治子さんの訃報で実質とも完全に消えてしまったことになる。
自分は昭和一桁生まれ。したがって「昭和のお母さん」に育てられた果報者といえる。
昭和のお母さんはみんな優しかった。今と当時は時代も環境も違うけれど、あの頃は
どこの家も子沢山で、家屋の構造も殆んど平屋で子供たちは自由にどの家も平気で
上がり近所のお母さんたちはヨソの子供も公平に扱ってくれたし、むろん悪戯すれば
容赦なく叱られた。子供も子供同士で仲間を持ち、ガキ大将を頂点としたサークルで
遊んでいた。そんな子供たちを近所の大人たちは優しくも、厳しく見張っていてくれた。
昭和のお母さんたちも自ら調理したオカズを近所にお裾分けしあっていた仲間だった。
あれからウン十年、戦争を境にしモラルも人情も仲間たちもすっかり変わってしまった。
子供も少なくなって街から嬌声も聞こえない。少子高齢化の平成のお母さんは仕事に
精を出し、子育ては保育所に、学校は給食なので、お母さんの味も子供に伝わらない。
生活の是非はともかく平成になって人情味もすっかり薄れたことに危惧を持っている。
普通の母親が幼児虐待などの首をかしげる事件の多発も家族関係の希薄が原因だ。
人の性格も愛情も子供の成長期で決まるという。「昭和のお母さん」は消えたけれど
「昭和の人情」は残して欲しいと切に願う。日本人の持つ大切なDNAなのだから・・
昨年あたりまで新聞に載る死亡記事を気にすることが多く、つまり死亡齢が自分より
上か下かが気になって仕方なかったが今はなくなった。それだけ歳を取ったのだろう。
「降る雪や 明治は遠くなりにけり」中村草田男は明治人の人情を懐かしんで詠ったが
明治を昭和に置き換えて差し支えない。今は義理人情に欠ける人多く、昭和が懐かしい。