隠居の独り言(1449)

時々、仕事や遊びで関西に行く。自分は一応大阪生まれなので人と話しても言葉の
違和感はないが交通機関や地名で東京と違うところ多い。駅のエスカレータに乗ると
東京は左側に寄るが大阪は右側に立って急ぐ人は左側を駆け上がる。東京と反対。
駅名も「日本橋」を大阪はニッポンバシ、東京はニホンバシ「本町」を大阪はホンマチ、
東京はホンチョウ。「京橋」大阪はキョウにアクセント付けるが東京はアクセントなし。
大阪は地名を略して上本町六丁目を「上六」。天神橋六丁目を「天六」に呼んでいる。
傑作なのは日本橋一丁目の「日本一」で、大阪人のユーモア的精神も日本一だろう。
東京で銀座四丁目を「銀四」と呼ばないし、青山一丁目を「青一」とけっして言わない。
電車に乗るカードも東京はスイカだが大阪はイコカ。交通機関らしい味があっていい。
車内に「チカン、アカン」の張り紙があった。東京は「痴漢は犯罪です」ご尤も過ぎる。
一般に東京人は言葉に余裕がない。夫婦喧嘩も東京人は「バカヤロー」で始まるが
大阪人は「アンタアホカイナ」で大抵収まる。人の喧嘩も「テメー、コノヤロウ」と
東京は威勢だけはいいが大阪は「オッサン、イテモタロカ」と静かな言葉の中に凄みがある。
病院でも医師に東京人は「ここが痛くて」と表現があいまいで先生も困るが大阪人は
「先生、ウジウジとここが痛痒いねん」と病状を的確に伝える。食事した後も東京人は
「美味しかった」の一言だが大阪人は「めっちゃ美味しいねん」と表現がとても上手い。
親を東京は「オヤジ、オフクロ」だが大阪は「オトー、オカン」。大阪は言葉が温かいし
実際に暮らしても親切な人が多く子供の頃が懐かしい。「大阪で生まれた女」の歌は
自分の愛唱歌だが「東京へはようついていかん」の歌詞は大阪人気質を表している。
自分は大阪に生まれ10年過ごし、戦時中は福島に疎開で3年、戦後は姫路で2年、
その後は江戸暮らしで長らく江戸弁で生活しているが、今でも昔住んだ土地に行けば
即、現地弁で喋れるのは脳の中にインプットされた細胞が蘇り言葉が馴染むのだろう
お別れも関西は「ほんなら、さいなら」東北は「そんじゃ、あばなー」訛りは伝統であり
その土地々々に合った自然、気候、風俗、人情が混じり言葉になった文化財と思う。
今では標準語が行き渡り「ふる里の訛り懐かし停車場の」啄木の詩は死語になった。
明治時代に首都が京都から東京に移り全国共通の統一された標準語が必要になり
江戸の山の手言葉が主体となって作成されラジオの普及により全国に広まったという。
歴史にイフはないが明治に首都が変わらなければ今の標準語は当然に京都主体の
平安京1200年伝統の深みある関西言葉になったはずで日本語を豊かにしただろう。
明治政府はもったいないことをした。