隠居の独り言(1450)

昔は粋な言葉遊びがあった。その一つが都々逸。「七七七五」つまり26文字を基本に
主として男女の情を歌詞にして三味線で合わせて唄う素晴らしく粋な芸だが、今では
すっかり廃れてしまった。今も昔も異性にモテたい、愛されたいという願いは、誰もが
持つ欲望だが、都々逸というのは一種のラブレター、または愛の歌で、男女の機微や
人生の哀歓を唄にして相手に自分の気持ちを伝える。「ヌシとわたしは玉子の仲よ、
わたしゃ白味でキミを抱く」と、洒落た都々逸でアバンチュールを楽しんだというから
粋なものだった。今はスマホのメールのアドレスを交換し、指の操作の愛情表現だが
簡略な文章の短いのが多く、中には絵文字だけで結ばれるというから実に味気ない。
現代のアキバ系のお姉さんもいいけれど、やはり小唄、都々逸を習い料亭や遊郭
お姐さんにモテたいと江戸の男衆の真剣さを想像するだけで楽しくなる。幕末志士・
高杉晋作が、遊女「おうの」に「三千世界のカラスを殺し、ヌシと朝寝がしてみたい」と
都々逸を詠ったのは有名だが、晋作の夭折は歴史的に実に無情で彼が天寿を全うし
明治を生きたなら日本も素晴らしい国になっただろう。男とは強いだけが能じゃない。
今やネット時代で通信は早いが中身が伴っていない気がする。自分も中学生のころ
初恋をしたが、通信手段や心の打ち明けは恋文を書くことしかない。恋文を綴るには
どれだけ素直に、どれだけスマートに表現する筆力で恋の行方に影響をする。だから
バイロン、ハイネ、啄木の詩を読み漁って、恋文作りに夢中になった青春時代だった。
でも恋文は青春期、成長すると小唄、端唄、都々逸で粋な詞を作るのが大人だろう。
その少年も上京してラジオで聞いたナットキングコールの「ラヴ・レター」「モナリサ」の
甘い歌に痺れ意味も分からないのに、いつも口ずさんでいた。恋の歌に東西はない。
上京してすぐ恋をした「軽いつもりでラブしたけれど、親の知らない怪我深し」駄作?。
でも小僧に恋は禁物。今「寝言いびきが隣にあればただそれでいい八十路」駄作?。
今やメール時代、恋文も簡素で絵文字を貼り付け返事を待つ。これでいいのかなぁ?
彼に都々逸で迫ってみよう。「あなたにあげた名刺の隅に待っていますと書きました」
戦後の流行歌「お富さん」も「粋な黒塀、見越しの松に仇名姿の洗い髪」も都々逸で、
神楽坂はん子の「芸者ワルツ」の「あなたのリードで島田も揺れる、チーク・ダンスの
悩ましさ」も作詞・西条八十、作曲・古賀政男の豪華コンビによる都々逸の歌だった。
「歌は世につれ世は歌につれ」という。七五調の歌詞は日本語の語呂に合っているが
その後に生まれた優秀な作詞家によって歌は変化していく。歌を歌うのは大好きだが
最近は意味不明の詞の歌も多いし音楽自体も分けわからない歌が多いのも事実だ。
決して懐古派じゃないけれど昔の歌のほうがいい。そして都々逸を見直したいと思う。