隠居の独り言(1460)

毎年正月一ヶ月は初詣の神社のハシゴをしている。今年も大晦日の近所の神社から
始まって2日は湯島天神明治神宮、3日は赤坂日枝神社乃木神社東郷神社
一周り、今月中に別の何社かに参拝しようと思っている。といって心から信心している
わけでもない。その雰囲気が好きなだけで、神殿の前で拝めば気持ちがスッキリする。
神社はかくも気持ちのいいものか。なにしろ清潔で静かで厳かな雰囲気というものは
実はなんにもないからだろう。何を教えるわけでなく、教義も無ければ、教祖もいない。
近所の神社も祭りや何か行事だけ宮司がくるが、それでも前を通れば手を合わせる。
拝むところでありながら宗教色がまるでないのも返って信頼できる信心な気持ち呼ぶ。
八百万の神々とは言ってしまえば何もない空間に過ぎない。どんなにおすがりしても
どんなに手を合わせても返ってくるのは何もない空間だけ、もし神社に神様がいたら
神さまは仰せだろう。神はあなたに宿っている。鰯の頭も信心からというではないか。
森羅万象、万物が神であり神はどこにも宿っているから、まず己にある神を信じよう。
日本人は勝手なもので初詣や合格祈願だけの信心で己の願いが叶うと思っている。
でもそこが日本人のいいところ、半分信じて半分信じていない。神より人を信じている。
だから一神教的な無理がない。一神教の神は絶対だから、その神に救われなければ
人は救われない。救いを拒めば追求される。だから一神教の信者には融通性がない。
哀しいかな、世界の多くの人が一神教の信者なので戦争の絶えない要素が存在する。
そこへくると日本の神さまは無責任でいい加減と思う。捨てる神もあれば拾う神もいる。
欲張りも、呑兵衛も、博打も、女遊びも、お祓いすれば大抵の神さまは許してくださる。
日本の八百万の神とは実にありがたいもので今年正月も神社のハシゴは欠かせない。
世界の数ある宗教が日本人の信心の空気のようなものになれば平和が訪れるだろう。
話は変わるが税金の季節がきた。ちっぽけな帽子職人にも税務署の目はぬかりなく
申告書は無情に届く。無抵抗な年寄りを苛めるなんて無体なことを言わないで欲しい。
それより宗教法人をもっと見直して欲しい。宗教として世のため人のためになると称し
税金が免れるのは不公平だ。聞くところによると教祖と教義があれば宗教法人として
成立するらしい。初詣のお賽銭箱にいっぱいのお金には税金がかからないなんて、
寺のお布施や寄付に税金がかからないなんて、国民等しく納税義務があると思うが・
無信心者は罰当たりなことを考える。