隠居の独り言(1466)

テレビのあまり見ない自分でも数年前の番組の「きよしとこの夜」は欠かさず見ていた。
氷川きよし、グッチ、ベッキーの三人組の品よく纏められた歌番組で評判が良かった。
人間的にも三人は素敵だが、中でもベッキーは美人で頭脳明晰、品行方正で清純派の
イメージだったのに、あろうことか妻帯者と道ならぬ恋をしたのは正気の沙汰じゃない。
自分も結構なミーハーで今回のベッキーのことがとても気になる。どちらも悪いけれど、
こういった問題は結局、女のほうが損をする。一度でも許してしまうと盲目になるのは
女の方で恋愛に関しては「女は実体、男は現象」という言葉の通りに男の恋愛感情は
陽炎のようで、いつの日か消えるが、女は最初の事件が生涯かけて付き纏ってしまう。
恋愛というのは人生の過程の一種の病気のようで結婚をすれば治るが、だからこそ
女にとって最初が肝心だ。江戸時代だったら不義は御法度、成敗されても文句なしで
罪一等(死刑)に値する。恋愛とか結婚とか不倫という言葉自体、明治以降に入った
西洋ロマン主義の影響なのだろう。妻帯者の男の方も、そんなにベッキーが好きなら
近松門左衛門の曽根崎の道行きくらいの覚悟があるのかと聞きたい。しかも妻帯して
僅か数ヶ月で女を騙した罪は一等に値するがベッキーの方も恋愛の代償が高すぎて
芸能生命も危ぶまれている。昔、北原白秋は人妻と恋におちて下獄もしたし晩年には
目を病んで薄明の世界を生きた。本来、男女の社会契約の基本が結婚であるように
赤の他人が一生連れ添う約束事で、儒教でも「夫婦は人倫の基本」と記されてある。
若い時には誰もそれが実感できない。結婚しても年中喧嘩で何が人倫と思うけれど
歳を重ねると結婚の契約の意味が分かってくる。だから不倫の成就はありえないし
無論ハッピーエンドはない。あるのは破滅と恨みと一生消えない後悔が残るだけだ。
カトリックは神の前で約束する。しっかりした家の娘は、結婚前は絶対に清らかで
だから式場に敷かれた赤いヴァージンロードを両親とともに歩くことが許される。
ベッキーは道を誤り過ぎた。途中引き返すことができたのに恋の病に付ける薬はない。
優秀だと人から羨ましがられるような恵まれた人ほど自信過剰と喪失が同居している。
平凡な人間は自信過剰になる気づかいがないから、むしろ安全運転の人生を歩むが
普通に恋をし、普通に結婚し、普通に暮らす平凡なことは実は大変な人生行路なのだ。。