隠居の独り言(1482)

若い時というのは遊びに憧れ、悪い身勝手なことも随分してきたと今にして述懐する。
閻魔さまはご承知だけれどブログにはとても書けないことまでして人に迷惑をかけた。
今更後悔しても始まらないが世に憚る自分のしたことで人に傷負わせたのも含まれる。
いつか謝らなくてはいけないと思いつつ、遠い時の経過が時効という形になってしまう。
若すぎる恋をした。その人はとくに自分に優しくて擦り切れた洋服など繕ってくれたし、
弁当のおかずも二人分であった。プラトニックな恋だったが、将来自分が独立したとき、
一緒になりたい気持ちを言い出せないまま、ある日突然、別れが来た。自分に黙って
嫁に行ってしまった。あとで親の意向と知ったが若すぎる無力な自分が悲しかった。
忘れた頃に手紙が来た。姑に仕える辛さと夫の暴力や無理解が面々と綴られていた。
助けてあげたかったが若小僧の身分ではどうすることもできない悔しさがこみ上げた。
当然に返事も出せないし、その人を偲び悶々と苦しむ以外方法のない自分があった。
世の中はままならぬものと気持ちは承知していても、今でも涙した思い出は忘れない。
他にも失恋は多くあった。今、青春期の出来事を思い出している。若き心情は純粋で
一直線の反面融通が利かない。見える視野が狭いので失敗の多いのも若さに尽きる。
失敗の繰り返しは人生そのものだが、先の見えない若い日の考えは思えば甘すぎる。
その人はとっくに自分を忘れてしまっただろう。それとも、長く恨んでいるかもしれない。
若い日、とくに男女の人間関係ほど難しいものはない。でも失敗を重ねるのも人生だ。
若かったからそれも乗り越えられた。でも昔のことは忘れたいし、もう引きずりたくない。
でもこの年齢になると融通が効かなくなって昔なら許せることも頭が爆発しそうになる。
先日はバスの中で足を投げ出している若い男と喧嘩をした。殴りあいでは勝てないが
口はまだ達者で「この足邪魔だ」で言い合いになりバスの運転手の仲介で収まったが、
こんなゲスな言葉を発する今の自分が嫌になる。頑固老人の醜い面をみた気がした。
いつも男はかくあるべき、かく生きるべきと、自分に言い聞かせてきたのも消えていた。
本来の男の美学は洒落、言葉、仕草だが、それはどこに行ったか、自分が悲しくなる。
美学というのも、いつも意識していなければできない。典型的な老人スタイルがある。
信号待ちをしているとき、展覧会で作品を見ているとき、誰かと立ち話をしているとき・
気づかないうちに老人は手を後ろに回して組んでいる。実際に組んでみると楽になる。
でも見ていて格好のいいものでない。これが老齢の表れで体のバランスをとっている。
老人になるのは天地自然の理で逆らうのは不可能だが自ら老人スタイルになるのは
みっともない。むしろ老人は背筋を伸ばし、胸を張り、スタスタ歩くほうが若く見られて
格好いい。「手をうしろに回す」のは悪いことをして十手持ちに連れて行かれる格好で
老人の美学にほど遠い。老いてなお美学に拘りたい。