隠居の独り言(1489)

九州地方は地震が少ない所と思っていたのに今回熊本のM7,0の大地震には驚いた。
特に東海地方や東京を含む南関東地域は日本の中で地震の多い地域として知られ、
この地域の直下でプレートが互いに接して地震が発生しやすい構造となっているが
九州や琉球列島はこの辺りから離れているので多少安心していたがそうでないらしい。
現地の方の驚きと被害の大きさと、亡くなられた方に心から哀悼の気持ちを表したい。
歴史を遡れば安土桃山時代の1596年9月1日に豊後地方でM7.0前後の地震発生、
別府湾の沿岸には大津波が襲来した。現在の大分市では、ほとんどの家屋が流失し
この地震で別府湾にあった瓜生島が水没したという伝説で近年調査も行われている。
ところがこの地震の4日後の9月5日、今度は畿内でM7.5の内陸直下地震が発生、
京都市内は大災害となった。豊臣秀吉の居城であった伏見城天守閣が大破して、
大奥では上臈や下女など約500人が圧死、堺でも600人を超す死者がでたという。
当時、秀吉に謹慎を命じられていた加藤清正地震直後300人の手兵を連れて登城、
清正自らが慌てる秀吉を背負って助け出し、城門を固めるとともに救助活動を行って
治安の維持にあたったため感動した秀吉に謹慎を解かれたという逸話が残っている。
その清正が築城したという熊本城が今回の大地震天守閣のシャチホコを始め瓦や
石垣が崩落して無残な姿になってしまった。泉下の清正も随分嘆いていることだろう。
実はこの春、熊本城と桜のコンビネーションを楽しもうと企画していたが急用あって
観光できなかったのが悔やまれる。写真で見る限りでは天守を修理するにも多額の
費用と時間が必要で自分の歳と体力を考慮すれば残念だが観光の夢を果たせない。
地震の話に戻るけれど、今回、政府の対処は一応迅速であったと評価していいだろう。
的確な初動と住民の連帯感が、M7.0の大地震にも最小限の人的被害で済んだと思う。
神戸の時は村山内閣が自衛隊の出動を遅らせ、東日本の時は管首相が怒鳴ったり
冷静を失って被害を大きくした。今回も社民の福島瑞穂は頻繁に余震が続く最中に
自身のツイッターで「ハッピー、ハッピー」とつぶやいた。民進党ツイッター
地震最中に自民党批判をして炎上し、共産党川内原発の即時停止を書き込んで、
国民の不安をあおっていた。野党の共通は災害中でも党利党略ありきはひどすぎる。
健全な野党の存在が欲しい。危機管理に対する政治の大切さを改めて思う。