隠居の独り言(1494)

年齢と共に心や体の衰えは仕方ないが、好きな歌も年齢とともに高音が出なくなる。
筋力は老齢化で弱くなるが声帯も筋力だから徐々に高音がかすれてくるのは悲しい。
高音は声帯を波のように激しく震わせると出るというが寄る年波は激しさが無くなる。
自分は若い時からのテノールで高音には自信があったのだが最近はキーが大幅に
低くなって前に録音した声が出なくなっている。高音の艶やボリュームも然りで寂しく
ギターのカポタスト(音の高低の調節器)を変え歌っているが出ないのは悔しい限りだ。
ホーム慰問は一人で歌う歌謡曲ばかりなので何とか凌げるが決められた曲の場合や
グループコーラスになると勝手は許されない。喉の声帯という楽器は一生分を物語る。
たまにテレビで昔の歌手が歌うのを聴くと、可哀相な気がするのは自分だけだろうか。
本当なら齢を取ってからテレビに出ない方がいい。姿恰好も老人なら歌唱力も老人で
かつてのイメージをそのまま残せばいいものを、なまじ姿を見せるのは美学に反する。
その点ちあきなおみ山口百恵は良いタイミングで完全に姿を消したのは素晴らしい。
不世出の大歌手・美空ひばりは3オクターブの音域を美しく歌ったが、そのひばりさえ
亡くなる50代前半は高音が出なくなった。石原裕次郎美空ひばりの二人のスターは
52歳という若さで亡くなったが考えれば歌手としての危機の前に逝ったのはよかった。
話は変わるが、ドモリは歌うとドモらない。幼い頃ドモリだったので母は近所の教会の
聖歌隊に連れて行ってくれた。僅か一年の経験だったけれど初めて歌うことを覚えた。
オタマジャクシの読み方も、腹から歌うことも今に思えば貴重な体験だったと述懐する。
小僧の頃、早稲田グリークラブに入っていた職人の息子と巡り合えたのも青春時代を
濃縮なものにしてくれた。進駐軍専用の教会でHymnal(英語の讃美歌)を歌えたのも
彼のおかげで、歌った後、教会で初めてステーキをご馳走になったのも忘れられない。
所帯を持ってしばらく音楽と遠ざかったが仕事も落ち着き50代になってからギターを
習い始めたが、やはりギターだけでは音量小さくサマにならない。今は歌を生かせて
弾き語りを楽しんでいる。歳を重ねていつまで弾き語りができるか神のみぞ知るだが、
人生の中で、音楽をやっていてよかった。つくづく思う。