隠居の独り言(1502)

生きていくうえで人間関係は必須だが、現実的には人間関係ほど難しいものはない。
どんな人も必ず好かれ、必ず嫌われる。できるなら嫌われないに越したことはないが
人それぞれ感情を持っているので現実はそう上手くいかない。若い時から長い親友も
いれば、齢を取ってから知り合い素敵な友人になった人もいる。ブログやFacebook
実際にお会いしていないのに暖かい人間味で接している人もいる。長く付き合っても
ダメになる友もいる。中にはあれほど親しくしていたのに絶交を言い渡された人もいる。
何か決定的な出来事も無く遠ざけられたのは温度差のようなものが生まれたのだろう。
人の心は分からないし分かったとしても心変わりした相手にはこちらの心は通じない。
心ならずも結果的にそうなったら相手の気分を損なわずに、そっと遠ざかるのがいい。
それが時の流れというもの、最近の事件簿の一方的感情で殺傷した馬鹿な奴もいる。
我慢と寛容。小僧時代に躾けられた商売の基本であり人間関係にも通じるものだろう。
「昨日の情けは今日の仇」という格言がある。友人関係どころか国家間でも同盟から
戦争に発展した苦い経験は身に沁みるほど焼き付いている。長年生きて多くの人の
接点があって今があるが「捨てる神あれば拾う神あり」で、付き合いとはそんなものだ。
そもそも人はそれぞれ性格も習慣も違うし、考え方が異なるのも当然だ。好き嫌いは
誰も持っているし相性も異なる。生きてきたこれまでの環境によって個性も違うだろう。
感情の寄り合わせを無理して合わせようとしても合うはずがないし諦めるのが無難だ。
しかし夫婦・家族と少数の友は、あるがままの自分を認めてくれる貴重な存在であり、
だからこそ大切にしたい。例え夫婦でも、相手の嫌がることをしてはいけない寛容さが
必要で最低限の礼儀が要る。自分はギターが趣味だが練習時は山の神が入浴中に
演奏することにしている。相手を煩わすことを避けるのが気楽に暮らせるコツだろう。
まして老い先短い自分であるので人間関係を大切にして終わりたい。