隠居の独り言(1513)

世間が参院選で揺れている頃、昭和の大物タレント永六輔さんの訃報が舞い込んだ。
八十三歳だった。同日に双子歌手ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなった報が流れた。
シャボン玉ホリデー」「夢で逢いましょう」昭和のテレビ界を背負った人がまた消えた。
思い出いっぱいの人が、一人消え、また一人消え、走馬灯の明るさも薄暗くなっていく。
一世を風靡した作詞家と歌手が亡くなって益々昭和が遠くなるのはこの上なく寂しい。
とくに永六輔は自分の同じ年、最近、パーキンソン病前立腺がんを患って、いつか
この日が来ると思ったが、やはり胸が締め付けられる。永六輔の思い出は仕事中に
ラジオで流れた「誰かとどこかで」の「七円の唄」で(当時のハガキ7円)遠藤泰子との
コンビを聞きながらミシンを踏んだ。時間も昼時で、聞き終わって昼食が美味しかった。
帽子職人はラジオを聞きながらの仕事なので彼のファンが多い。軽妙でユーモアに
富んだ語り口が、もう聞こえないと思うと寂しさ感慨もひとしおだ。様々彼の経験話は
社会の勉強にもなった。彼の持ち前の尺貫法復活は成しえなかったが今も支持する。
その他にも、彼の小粋な著書は昭和の生き字引の本領を発揮していたといっていい。
仲間だった中村八大、野坂昭如小沢昭一阿久悠坂本九も、もうこの世にいない。
昭和という時代、何と変化に富んだ時代だったか。当時、生きた者にかけがえがない。
「この頃、お友達が亡くなって最後の一撃のような永さんの死です」友人・黒柳徹子
語ったが、同感!自分と永六輔は同じ1933年生まれで、同級生の気分がいっぱいだ。
先の戦争を直接に体験し、混乱と飢餓の戦後を生き抜いた「戦友」ともいうべきだろう。
自分が、くじけそうになったときも「上を向いて歩こう」を歌えば元気が沸いて上を見た。
それにしてもあの頃はいい時代だったなぁ・・貧しかったけれどみんな心が豊かだった。
あの頃の、洒落た歌詞も軽妙な音楽も素敵な歌手も二度と生まれることはないだろう。
ますます「昭和は遠くなりにけり」で、自分も神に召される日が間近なのを感じてくる。
永さん、ありがとう。ご冥福を祈ります。合掌。