隠居の独り言(1517)

ここのところ田中角栄元総理を回顧するメディアが多い。戦後最大の疑惑事件だった
ロッキード事件が起きて今日27日で40年が経つ。事件の詳細は今更の感がするが
角栄は雪深い新潟に生まれ極貧の少年時代を経験し、小学卒業後は木材店に勤め
戦後に会社を立ち上げ、政治家の道を進んでいく。立身出世の見本みたいな角栄だ。
初めて代議士に当選した時の演説は「みなさーん、この新潟県群馬県の境にある
三国峠を切り崩してしまう。そうすれば日本海季節風は太平洋側に抜けて越後に
雪が降らなくなる。みんな大雪に苦しむことはなくなるのであります。切り崩した土は
日本海へ持っていき佐渡を陸続きにさせればいいのであります」若き血の叫びだった
演説は荒唐無稽な大風呂敷と聴衆に笑われたが、東大法学部出身の官僚の頭では
思いもよらぬ卓抜なアイディアは後の「日本列島改造論」へと進んでいく。日本全体を
機能的、合理的に高速道路や空港、果ては新幹線まで走らせ日本を便利にしたのは
基はと言えば角栄の「改造論」に突き当たる。金権政治が悪いというけれど自民党
総裁選挙の歴史を調べても全て金銭で動いている。なにも角栄だけのせいではない。
戦後の歴代総理を見渡しても角栄に勝る人物は見当たらない。日本歴史を遡っても
聖徳太子源頼朝足利尊氏織田信長等々に比較できるほどの改革者といえるが
改革者は誰もが光と影を有していた。角栄の光は戦後の日本を立て直した勲一等だ。
考えてみれば角栄は毀誉褒貶の人、光の当て方で善の部分も悪の部分も見えてくる。
立志伝中の努力家で稀有な人物だった。ロッキード事件という未だ、未解決な案件に
足を掬われたのは日本にとって大きな損失だった。事件なく田中政治が続いていたら
現在の日中関係北方領土も違った展開であったに違いない。「木を見て森を見ず」
正義ぶるマスコミも国民も小さなことに拘り大きなものを失った。改めて角栄に合掌。