隠居の独り言(1518)

八月になれば思い出す。今は遠い昔の物語も戦争と敗戦と誇りと惨めさが交差する。
日本全体が空襲と食糧難で塗炭の苦しみを味わった日々だったのに何故か懐かしい。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、万世のため太平を開かんと欲す・・・」負けた。
玉音放送は残念ながら聞けなかったが、特にあの日が暑かった記憶だけが今も残る。
思い出せば涙が止まらない。あれほど信仰した神国日本が紅毛碧眼に負けるなんて。
小学6年生、12歳の少年の正直な気持ちだった。暑い夏陽を背に受けて泣いていた。
子供の頃は真面目な軍国少年だった。遡る2年前、昭和18年7月の大本営発表
「山本連合艦隊司令長官は南太平洋前線に於いて敵と戦い飛行機にて戦死したり」
このニュースを聞いて軍国少年の心を暗くした。太平洋戦争当時、日本軍人の人望を
一身に集めた山本五十六元帥が戦死したという。憧れの人が死に、少年は泣いた。
そのミッドウエイ海戦が太平洋戦争の峠で、それを境に日本はズルズル負け重ねた。
昭和20年(1945)6月、遂にアメリカ軍が沖縄本島に上陸し組織的戦闘が終結したが
80日にも及ぶ地上戦で住民を中心に、およそ 20万人の犠牲者を出し、6月23日は
「慰霊の日」として沖縄県が制定している記念日だ。当時、自分は頭のてっぺんから
足の爪先まで軍国色に染まっていた。沖縄の次は本土決戦で、鬼畜米英を撃滅せよ。
天皇陛下のために命を捧げる。このスローガンに血がたぎっていた。日本人の殆どが
祖国のために、ひもじさにも耐え、気分は意気軒高だった。目的意識が明確で雑念の
ひとかけらない純真無垢な少年魂が今更ながら、いじらしい。今の若者の何と幸せか。
物質が豊富で衣食住は親任せ、悩みと言えば友達と関係がうまくなく夜も寝られない。
人間誰も欲望に際限なく、どの状態でも次々悩みと不安が付きまとう。しかし戦中は
みながただ生きるために必死だった。戦争の恐怖と食糧難で心の病なんて無かった。
あれから70年。現在83歳余、思えば大変な世代に生きてきたものと、つくづく思う。
今は6人の孫にも恵まれ言うことはない。これからも世間が平穏であればいいけれど、
キナ臭い隣国の脅威も拭えない現状だ。誰も平和を願うが、言葉だけで平和は無い。
アメリカ大統領選で共和党のトランプ氏が日米安保に触れて、何故アメリカが日本を
守る義務があるのか、ならば経費全額払えと言ったが御尤も。日本の核保有も促す。
トランプ氏の言うことも一理ある!強くなければ生きていけない。