隠居の独り言(1532)

今年も「敬老の日」がやってくる。敬老とは「読んで字の如し」老いた人を敬うことだが
歳取ると姿恰好醜く、動作が緩慢で、物忘れ酷く、若者や世間とピントが合わなくなる。
最近のネット社会に老人は付いていけず、敬うどころか軽蔑・嫌悪されることが多い。
少子高齢化が益々進む現代は、子供が少なく、高齢者がどんどん増え、やがて大量死の
時代を迎えることは必至なのだから今から「死に方」「死後の始末」を若い人も政府も
真剣に考える必要に迫られる。幸せな長寿者は素晴らしい。健康寿命を長く保つには
本人の努力が必要だが、それでも80越えると大半が要介護になり世間の世話になる。
特別養護老人ホームは27万ベッドが不足で死ぬまで待ちきれず亡くなる老人も多い。
といって老人は特養ホーム入りが希望じゃなく、家族と共に自宅介護を願っているが
家族の都合、様々な理由、人手不足などで、ままならず、環境を持てる老人は幸せだ。
先日、総務省が発表した資料では65歳以上の老人が28%、総人口に占める割合は
4人に1人が老人の社会になったのを意味する。80歳以上の老人が1000万人を超え
100歳超は6万6千人というから、これから年金、健保、社会保障もこれまでのような
サービスは当にできないし余程の資産や預金が無いと豊かな老後は保証されないが、
それでも幸せはお金だけじゃない。明るい気持ちを持ち続けるのが幸せの条件だろう。
そして諦めも肝心だろう。歳取って癌などの大病が発見されたら放っておくのがいい。
ある程度の年齢に達すれば身体に病気が付きものなのは自然の摂理で仕方がない。
肉体の老化は誰も避けることはできない。病気と折り合いをつけ仲良く同居しながら
暮らすしかない。仏教の考えかたに「輪廻転生」がある。つまり人は生まれては死に、
死んでから生まれかわり、果てしなく繰り返すことだが、川の流れがやがて海に達し、
海水は太陽の熱で蒸発し雲となり雨になって地上に降り注ぐ。自分は世から消えても
生命の永久運動は地球がある限り続く。そう考えれば死なんて怖くも恐ろしくもない。
命の循環を信じることが生きる証と思う。