隠居の独り言(1533)

暑さ寒さも彼岸までというけれど、今年の秋の訪れが早すぎる。つい先だって前まで
クーラーなしでは寝られなかったが昨今の朝晩の冷気は毛布を被らないと風邪を引く。
一年の春夏秋冬の四つの四季は自然を美しいものにしているが、人の一生を四つに
分けた場合、昔の中国では青春、朱夏、白秋、玄冬に分けた。青春は言うまでもなく
若さに満ちた成長期、朱夏は社会に出て働き、やがて結婚して子供を育てる活動期、
白秋は一定の社会的責任と貢献を終え、定年を迎えた安住期、玄冬は高齢になって
人生の卒業の準備の終末期、白秋と玄冬の二つは人生のおまけみたいなものだが
昨今は老後になっても皆さんお元気で、昔の言葉がそぐわないように思えてならない。
日本では65歳以上が老人とされているが、65歳なんて、まだまだ壮年期の最中で
そもそも会社の定年が60歳では早すぎる。時代に沿った行動力、労働力で考えたい。
現代の医療発展は素晴らしく、昔は人生50年といわれ、歌も「村の渡しの船頭さんは
ことし六十のおじいさん」の童謡があるが当時のお爺さん年齢もそれなりだっただろう。
でも今や若い人や壮年の人に支えられている時代じゃない。国にも大きな借金があり
社会保障も先細り、年金資産も赤字続きで60やそこらで引退する余裕はあり得ない。
しかも寿命の延びは目出度い反面に今の制度は早晩崩れると言っても過言じゃない。
命ある限り体が動く限り働かなくてはならない。これから50歳から人生50年を設計し
人生100年時代に備えなくてはならない。そうなると90歳まで健康寿命も夢じゃなく
現代の60歳から40年間の人生設計するのが当たり前の時代に差し掛かっている。
右を見ても左を見ても自分と同世代の高齢者がいっぱいということは若い人が減り、
年金や社会保障の支えをする人がいなくなるということ、何年後の未来像のことでなく
明日の現実の問題としてあるだろう。これからは貰うという受け身では生きられない。
条件は厳しいが、自分なりにしっかりした足取りで、きちんとしたポリシーが無ければ
生きられないことを、今から覚悟しなければならない。元気で長生きは誰も理想だが、
そのために自分を律することが大切ということを、みんなが知ってほしい。