隠居の独り言(1537)

先日、東京足立区のマンションの一室で「母が父の首を絞めた」との110番があった。
駆けつけた警察署員が住人の無職、Aさん(85)が布団の中で倒れているのを発見。
Aさんは病院に運ばれたが死亡確認された。部屋にいた妻(81)が首を絞めたことを
認めたため警察は殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。警察の発表によると、妻は
「主人の介護に疲れ、寝ているとき首にネクタイ巻いて殺した。早く楽になりたかった」
供述しているという。でも事件は氷山の一角で毎日のように報道される日常茶飯事だ。
今の核家族化していく中で、家族の絆も名ばかりで介護施設も整ってきているといえ、
実際は一種の収容所的で、結局は自宅で介護する場合が多くなっている。それでも
介護するのは連れ合いの老々介護の形だが、介護するのもされるのも老人は大変だ。
某新聞の調査で高齢の親を介護している家族の40%が衝動的に殺意を覚えたという。
でもこれは本当のことと思う。介護されている老人も、ある種の認知症で、ものすごく
乱暴になって汚い言葉を発したり、暴れたりすれば、介護の限界に達してしまうだろう。
「弄便」という言葉がある。認知症が進むと自分の排せつ物を壁に塗りつけたりする
行為で、なかには人に投げつける。相手が病気と納得していても、気分が収まらない。
誰も、心身が元気なうちは静かな臨終を迎えたいと希望するが、認知症を抱えたなら、
きれいごとは言っていられない。人生の終わりは、どんな形にせよ、人は死んでいく。
まして八十路になれば死の準備をしなければならないが、死ぬにも作法があると思う。
「行儀」という言葉は死ぬ作法を言う。家中で余裕があれば高齢者に一部屋が欲しい。
「今朝、お爺ちゃんの寝起きが遅いわね。どうしたの。あ。死んでいた」と家族が気付く。
それが最高の仕舞い支度だ。父がそうであったように自分もそうありたい。