隠居の独り言(1540)

「晩節を汚す」との言葉がある。辞書には「それまでの人生で高い評価を得てきたにも
関わらず、後にそれまでの評価を覆すような振る舞いをし、名誉を失うこと。」とある。
人生の活動期にどんなに名誉と富を得ようが、年齢と共に体の衰えは誰もが公平で
素晴らしい才能も老化現象は避けられず特に秀でた人ほどその格差が大きいだろう。
歴史的にも戦国時代の三人の傑物たる織田信長豊臣秀吉徳川家康それぞれが
晩節を汚している。信長は壮年期までは天才的戦略の持ち主だったが晩年になると
比叡山焼き討ち、容赦なき虐殺、家来に対して使い捨て等、結局、光秀に抹殺される。
秀吉の若い時は知恵に優れ人情味溢れた人物だったが晩年は、秀次、利休を抹殺し
朝鮮出兵をして、現代になっても後を引いている。家康は晩年に豊臣家を滅亡させた。
昭和になっても総理経験者にも田中角栄、村山富一、鳩山由紀夫管直人などいる。
今、晩節を汚す言動をしているのは、石原慎太郎氏と瀬戸内寂聴さんの二人に尽きる。
慎太郎氏は以前都知事時代の豊洲問題の元凶で問題の地下空間が設けられた経緯を
質されても「俺は騙された」「都議会は伏魔殿」と言いながら俺は老齢で記憶が薄れて
いると呟く。現役時代の偉そうな態度はどこへ行ったのか。今更老齢とはみっともない。
寂聴さんは政府を批判、死刑制度反対で「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言。
もし自分の家族が重大犯罪で死に追いやられたら、このような言葉が言えるだろうか。
被害者の神経を逆なでするのは情けない。自分は石原慎太郎氏や、瀬戸内寂聴さんの
著書を読み感動したこと多かった。それだけに失望感も大きく、かつて人生観を奥深く
探求した二人はどこへいったのか。人は脳が老いると共に頑固となり、柔軟な考えが
失われていく。石原慎太郎氏といえども、瀬戸内寂聴さんといえども、どんな天才も、
人である以上、老齢には勝てない。年老いたら、回顧録でも書いて人生達観すべきだ。
自分だって人のことは言えない。自分も80歳を過ぎて、新鮮な脳はもうやってこない。