隠居の独り言(1546)

織田信長本能寺の変明智光秀に襲われ命を落としたが死ぬ間際に「敦盛」を舞い
「人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」と詠ったが、享年49歳だった。
当時も寿命は約50年で、赤子の死亡率は高かったが、成人になれば今と変わらない。
当然に昔は老後の定年も健保も年金も無く、死ぬまで働くか、子供の世話になるしか
選択がなく権力者になると側女を持ち、子を儲けた。それは或る種の保険といえるが、
庶民は姥捨て山の運命が待っていた。山に捨てられた老人の運命は言うまでもない。
それでも老人は唯々諾々と運命に従った。残酷だけれど生きるパイは決まっている。
戦後を経て今や平均寿命80年に達し70年間で寿命が1、6倍になるという革命的な
生物学数字になる。しかも働く定年が60歳とすれば残り20-30年は「おまけ人生」で、
その「おまけ」が長生きすればするほど若い人達の労働賃金を横取りして結果として
少子高齢化に繋がる悪循環で子孫を減らす原因だ。ではどうすればいいのだろうか。
まず「おまけ」を返上して、年寄りも働かなくてはならない。働くことは健康にいいのは、
言を俟たないが人間の体の半分は筋肉が占める。筋肉は働くためにあり働かないと
萎えてしまう。けれど人間は誰も怠け癖があり、何ごとも億劫になって体を動かさない。
電車に乗れば、まず空いている席を探しまわる。駅ではエスカレーターに列ができる。
出来るなら老人は階段を登りたい。折角の筋肉を使わないと老いスピードが速くなる。
歳を取っての労働は健康に一石二鳥で、体は軽くなるし、医者に掛ることも少なくなる。
たとえば介護は老人問題の一つだが若い世代に任せるのでなく老々介護で解決する。
介護は極めてデリケートなサービスだが老人の厳しさ苦しさは老人だから理解できる。
調理、掃除、洗濯、買い物といった生活のことも老人同士が寄り合って助け合いたい。
次世代に厄介を掛けるのでなく、むしろ次世代のために働くことこそ生きる価値と思う。
国債利息が国家予算の四分の一を占めるという前代未聞、日本の国始まって以来の
超難題を話そうとしない、聞こうとしない日本人は能天気すぎる。年寄りを甘やかすな。
政治家も国家の危機的状況のことを言おう。国民も冷静に聞かなくてはならない。