隠居の独り言(1565)

人生には歳を取ってみないと分からないことがある。過ぎし日を振り返ること自体が
感慨を抱くうえで、こんな充実感に満ちた幸せは何十年前なら想像も出来なかった。
若い頃は、がむしゃらに働いた。日曜の休日も無く、働くことが日常そのものだった。
休もうとか、遊びに行きたい気持ちを忘れていたのかもしれない。老いた今になって
自分が到達した老後の幸福をしみじみ思う。怖いもの無く、何事もはばかりなく言える。
昨今は「下流老人」という言葉が巷を練り歩く。生活保護の受給くらいの収入しかなく
またはそれに近いその日暮らしの老人を指す言葉らしいが現実に国保だけの収入で
生活している人が多く近い将来、日本の高齢者の9割の人が下流化になる話もある。
もちろん下流の境涯は憂慮しなくてはならない。病気や不運な流れでそうなった人は
本当に気の毒としか言いようがない。しかもそれが原因で気持ちの平安まで失ったら
痛ましすぎる。この世の不公平なのは、今更言うまでもないが、将来に「下流老人」に
なりたくなければ、若いころからの人生設計が必要になる。よほどの不運がなければ
人生到達点までは自己責任で「社会が悪い」と叫んでみても結局のところ自分自身と
家族の生活は自分で守るしかない。歳を取ってから下流の生活を嘆いても既に遅い。
杞憂する前の若い時にまず一歩を踏み出し足元を固めなければ時は待ってくれない。
衣食住を再点検する。暴飲暴食は慎む。不要の無駄を省く。自分を律する心を持つ・
若い日は美食を楽しみたいと思うだろう。或いは恋愛に悶々とする火焔もあるだろう。
論語に「七十にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」という言葉がある。
矩とは煩悩のことで、歳を重ねて自然に煩悶が鎮まっていくのが人間味というもの・・
そして高齢者の幸せは単にお金だけじゃなく、健康の保持がなくては幸せと言えない。
老後の幸せの三拍子は健康、経済、行動の「K3個」が揃って味わう人生の究極だ。
「言うは易し、行うは難し」だが、歳を取って初めて分かる幸せと安堵感を求めよう。