隠居の独り言(1581)

10年前の京都伏見で起きた介護殺人事件は老母(86)と息子(54)の2人家族の出来事だった。
父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、週3〜4日は夜に寝付かなくなり
徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男は続けていた仕事も休職して介護にあたり、
収入が無くなったので生活保護を申請したが休職を理由に認められなかった。母親の症状が
さらに進み、止む無く退職。再度生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。
母親の介護サービス利用料や生活費も切り詰めカードローンを利用してもアパートの家賃も
払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。「もう生きられへん。ここで終わりや」
息子の力ない声に母親は「そうか、あかんのか」とその言葉で長男は母親の首を絞めて殺害。
自分も包丁で自らを切りつけ更に近くの木で首を吊ろうと巻きつけたロープがほどけてしまう。
それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
京都地裁判決は温情で長男に懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡したが数日後、長男は
琵琶湖大橋から身を投げて自殺した。何ともやるせない介護殺人は誰にも当てはまる事件だ。
そして10年後の2017年2月、八王子市の病院の一室で「かあちゃんかあちゃん、ごめんな。
60年連れ添ったのに、ごめんな・」うわごとのように繰り返していた84歳の老人の姿があった。
3日前に81歳の老婦人が殺害され、84歳の夫は大量の睡眠薬を飲んで病院に搬送された。
性格が明るく裁縫が得意で自分の着る洋服は全て作っていたという彼女が自宅の玄関先で
うろうろして自分の家が分からなくなったのは3年前だったという。既に認知症を患っていた。
そんな妻のために夫はすべて面倒見た。施設に入れることも検討したけれど長年連れ添った
妻と離れたくない情愛を一層強くしたという。どんな事情にせよ、愛する妻に手をかける前に
思いとどまることができなかったのか?しかし介護殺人に対し誰も批判できる資格がない。