隠居の独り言(1605)

戦争が終わって70年以上が過ぎた。歴史にモシは禁物だが戦争が無かったら自分の人生も
大きく変わっていたろう。自分は大阪で生まれなので戦争疎開することもなく平凡に進学して
卒業後はサラリーマンをして大阪で暮らしていた可能性が高い。しかし戦争によって福島に
疎開し姫路に帰って間もなく上京して今の人生を歩むことになる。果たして今が自分にとって
幸せなのか、答えは出るはずもない。戦争は沢山だが、でも子供の時に大阪、福島、姫路と
ひもじいながらも転々としたことは思い出もまた充分できて良かったと、今は当時を振り返る。
それぞれ生きてきた道は変えられないが様々な体験は人生の原点で神さまに感謝している。
戦争は嫌だが地球のパイが決まっている以上、増え続ける人の数と欲望がある限り戦争は
避けられない。これからも地球のどこかで戦争は絶えることはない。平和平和と口に叫んでも
平和はやってこないし、負け犬の遠吠えになってしまう。人類に戦争は避けられないのだから、
方法として勝ち組に入ることが賢明なのは言うまでもない。先の戦争だって負け組だったから
泣きを見た。逆に勝ち組だったアメリカの市民は戦時中もいつもと変らない生活が続けられ
普段の仕事も学校も映画もスポーツもダンスホールも、そして盛り場も人々は楽しんでいた。
空襲で逃げ回っていた日本と大違いだ。勝てば官軍、負ければ賊軍の格言の現実があった。
歴史を鑑みることは重要だが、いつまでも戦争後遺症に悩まされていないで未来に進みたい。
それには確固たるに日米同盟が不可欠だが米国に頼りすぎることなく植民的憲法を改正して
世界の独立国の一員としての日本が確固たる地位を保たないと先の戦争の二の舞になる。
近隣諸国に舐められる要因は軍隊を否定する自虐憲法が土台にあることは言を待たない。