隠居の独り言 91

今日から彼岸の入り。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだが、人間も勝手で、あれほど今年の酷暑だったのに過ぎてみると夏が懐かしい。秋分の日は太陽が真西に沈むので西方浄土の考えから十万億土と現世が直線に結ばれ、ご先祖が里帰りされる。その時期にご先祖に会える心気持ちで墓参りをするのが夏から秋への季節の変わり目と、生活の区切りも含めて春秋の行事となった。けれど彼岸会は仏教の発祥の地のインドや中国の習慣に無く、日本独特のもので彼岸会はご先祖や、亡き父母を偲ぶ日本人の信仰のDNAだろう。普段は無信仰無信心の罰当たりも父母の命日や彼岸を迎えると心改まる。今こうして恙なく生きていられる幸せも、ご先祖のお蔭だが、もともと、お蔭という言葉は仏教語で心の謙虚を表す。家は浄土真宗西本願寺派でご本尊は阿弥陀如来だが、阿弥陀はいつも勢至と観音の二人の菩薩を従えていられる。お蔭とはあなたの知恵(勢至)と慈悲(観音)の蔭の下で日々暮らせることで、父と母が厳しさ(知恵)と優しさ(慈悲)で育ててくれたお蔭であり、今の自分がありそれを次の世代にお蔭の心を伝えること知恵を表わして灯明をあげ慈悲を表わして花を添える。鎌倉時代の随筆家・鴨長明の「方丈記」の冒頭には「行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず。淀みに浮ぶ、うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし・」この世に永遠のものはありえない、日々に変化をし続け、愛する人とも、いつかは別れ、そして誰もいつかは死んでいく・・との詩の意味だが、この世は「諸行無常」そのものであり現実をしっかり覚える事と、生きるうえで「諸法無我」という言葉の、この世は全ての関連で生かされているので人さまを大切になさいと阿弥陀は説いている。