振袖火事

総武線の乗って飯田橋から四谷にかけて見えるお堀は江戸城
外堀跡です。関が原の合戦に勝った家康は主に負けた西軍大名を
使って江戸城を築かせました。20-30年の歳月と莫大な財を使って
本丸を始め建物や城下町が一応の完成を遂げます。しかし世の常
貧富の差がひろがり政情不安、そんな中で何者かが本郷の本妙寺
火をかけたのです。明暦3年(1657)世に言う明暦の大火です。
諸大名たちが血涙しぼった城も庶民の江戸の骨格も一瞬にして灰燼
に帰し当時の人口の30%にあたる10数万の人々が犠牲になり、
それらの方々の供養のために幕府に依って回向院が建てられました。