小僧①

夜汽車に13時間揺られて、最初に東京でワラジを脱いだのは
浅草橋駅近くの台東区向柳原(現、浅草橋四丁目)であったが
当時は戦後間もなくのバラック小屋や平屋の家も多く駅からは
まだ浅草松屋や上野の山が遠望できるほどの風景が残っていた。
浅草橋界隈は小売商も何軒かはあったが圧倒的に問屋が多くて
どの店も小僧が何人かいてそれを番頭が取り仕切る仕組みになっていた。
私の勤めた帽子製造の店も小僧が12人ほど、番頭が3人の規模だった。
小僧とは年齢の若い従業員のことで大部分は尋常小学高等科を出たり
新制中学の出身者たちで、なかには小学校だけというのも働いていた。
仕事の始めはほとんどが雑用で朝の内外の掃除に始まり夜の片付けまで
休みなく先輩たちに仕事を教わり、口答えは許されず、その身支度も手伝い
(布団の上げ下げ、洗濯、着物の繕い、食器の洗い等)それは厳しかった。


次回より小僧時代を思い出すまま書いてみようと思う。