小僧⑩

昭和20年代の後半も戦後の混乱期が続き、三鷹、下山、松川事件などは
解決されず、血のメーデー乱闘などもあった。上野浅草などは浮浪者であふれ
あちこちの盛り場のヤミ市は、いつも人がごったがえしであった。ヤミとは
非合法な商品の売買だがモノそのものが不足していたため官憲も見ても見ない
フリをして、よほどのあくどさや暴力など無ければ検挙されることはなかった。
話は戻るが私が中学生の頃、米や煙草の買出しをしていた。当時は食糧管理法
汽車の中などで検査官がきて米や麦など没収されたが、検査官も人の子、子供には
見逃してくれたが、私はそれを逆手にとって買ってきたものを近所や市場に売って
父の帰還前の家の生計の足しにしていた。そんな子供たちも大勢いた世間であった。
先輩を頼って行ったが彼もヤミの仕事をしていて訪れた私にメシをご馳走してくれた。
彼の仕事は東京湾に入ってくる外国の大型貨物船に用品雑貨を船員に売りに行くことで
ヤミ市から買ったものを3倍ぐらいの値段で売り、逆に船員が持っている珍しいものを
買ってヤミ市に流す。でもなにもかもが全て非合法で保安庁や警察の目をかすめての仕事。
親分はヤクザまがいの人で先輩の親戚筋にあたると言う事で、私には優しく当たってくれた。
夜はパスポートなど持ってない下級船員をヤミに紛れて桃源郷へ連れて行き、終わると戻す。
私の仕事はそれらの見張り役と雑役で、朝から夜遅くまでコキ使われて厳しさを味わったが
飲む打つ買うの遊びも経験したし、外国人とのテブリハブリの会話も楽しかった。