小僧⑫

再入社してしばらくは真面目に仕事に取り組んだ。時代の変化で夜遅くまでの残業は
なくなり、休日も月二回のシステムになり月給も少しは増えて正式の従業員になって
決められた仕事もこなせるようになり自分の自由時間も僅かながらも持てたが、職業も
お客さんの要望や季節商品が相手なので自由はいつでも、どこでもと言うわけでは無い。
そんなある日、母からの手紙で父が戦時に負傷した傷の悪化と結核の再発で失業して
少しでもいいから送金してくれないか、の便りがきた。今までの様子で少しは覚悟は
あったが、貯金は全てはたいて送金し給料の殆んどは消えていった。幼い弟妹4人を
抱えて働く母の苦労を思うだけでも長男の責務を果たすのが親孝行と多感なころの私の
気持ちは故郷へと燃えていた。でもそのことが仕事への情熱と勉強心を刺激されて覚える
ことの大切さと、いつかは独立して父母兄弟を面倒みなければの決意を育んだことには
良かったと思っている。お金は無かったが、先輩たちの身の回りの世話など率先してやり
(洗濯、部屋の掃除、繕い、用事等々)上野、浅草六区、後楽園競輪、玉の井××など、
休日の遊びや飲みにもよく連れてくれた。一人のときは自転車に乗って東京見物を楽しむ
べく、地図を持って遠くは横浜まで行ったことも、迷子になって交番の世話になったことも
過ぎた今は懐かしい。生きるスベは、ともかく先輩やお得意様など目上の人に好かれること、
それらは経験からの知恵であり、今があるのも当時の逆境がバネだったのかも知れない。