小僧(23)

昭和30年代は戦前と戦後のはざまにあった時代かも知れない。
東京の下町には戦前の生活がまだまだいっぱい残っていた気がする。
空き地には男の子はチャンバラ、プロレスゴッコ、ボール投げ、メンコ
こま、野球、女の子はオハジキ、ゴム跳び、なかには子守の子もいた。
午後には紙芝居がきて握った小遣いで駄菓子を買いオジサンの演技を楽しんだ。
建築ラッシュだったが、地鎮祭の時にはヨイトマケの面白い唄も聞こえていた。
行商人も多く、豆腐納豆牛乳、竹屋、畳屋、砥ぎ屋、定齋屋、花屋、魚屋、荒物屋、
らお屋、金魚や風鈴売り、どこの家も一年一回の富山の薬箱が置いてあった。
なかでも常連は千葉方面から来るかつぎやのオバサンたちで毎朝新鮮な野菜と魚を
置いて重宝されていたし「だれか女工さん、いない?」と頼むと世話もしてくれた。
人々は貧しく、それでも活気があったし人情味も格別のものだった昭和30年代。
当時、結核患者が多くサナトリウムに簡単に入れなかったが、かつぎやのオバサンが
あたしの姪が千葉の稲毛の額田病院に勤めているから頼んであげる、の一言で決まった。
情の有難さをつくづく思った24才の小僧だった。