小僧一人旅(2)

鳥越神社にはその日、七五三の稚児の晴れ姿で華やかな雰囲気は街を明るくしていた。
鳥越一丁目あたりの一帯は、関東大震災東京大空襲の火災からも免れた稀有な地帯で
住民の人たちはその幸運を喜んだが、その分戦後の復興の勢いから遅れたのは否めない。
今でも路地裏には小さな長屋が多く密集して昔ながらの独特な雰囲気を醸し出している。
戦前、いやもっと前から住んでいる、いわゆる江戸っ子が多く人情味の厚さは類を見ない。
横溝正史人形佐七捕物帳の「鳥越の親分」が今も居そうな昔ながらの風情が残っている。
家の鍵などなく長屋の壁一枚の隣同士のお付き合いは住んでみれば居心地はいいものだ。
資本金は退職金12万円と貯蓄した約8万円の計20万円也、借りた長屋の権利金、敷金は
免除してもらったが家賃8千円、中古のバイク3万円、裁断機、仕上げ機が中古で5万円。
ちなみに当時の大学卒の初任給は1万5千円ぐらいで、そんな歌もラジオから流れていた。
電話は最初の一年間は大家さんに貸していただき、水道、ガス、電気は別途支払いだった。
あとは生地や付属の仕入れ、縫製の職人さんへの工賃で、真っ赤な火の車が走り出した。
お隣の大家さんは内縁のお年寄り夫婦の帽子の裁断師で小僧が以前からお世話になって
いた人だったので、安心して留守番役を頼んで仕事に出かけることも出来たし、なにかと
仕事や生活の面倒を掛けたことに今も感謝の念は消えない。