日米間に思うこと(2)

東京湾に鯨が迷い込んで、アザラシのタマちゃんのように人気者になったが、あえなく
漁師の網に掛かって命を落とし可哀想な結果になって皆をガッカリさせたが、かつて
19世紀ごろのアメリカの捕鯨船は太平洋に鯨を追って縦横無尽に活躍したが、水や
食料品の補給場所の最適地に日本に的を絞って交渉すべく軍艦を差し向けてやってきた。
1853年の夏にペリー率いる4隻の軍艦が東京湾浦賀の沖に現れて通商を迫ったのは
周知の事実だが、交渉している時は、絶えず砲門を陸に向けて武力を背景に幕府を脅し
不平等条約(関税や外国人を裁けない)を押し付けられた。けれど当時の弱肉強食の
帝国主義、植民地時代の国際情勢は当然の掟のようなものだった。日本は鎖国の中の
一国平和の夢をむさぼり続けていたが、これに驚き目が覚めた。この不平等にとりわけ
誇り高き武士たちは幕府を責め、尊王攘夷の思想の旗印に、戊辰戦争を経て明治維新
文明開化となる。つまり日本を開国させ発展させてくれたルーツはペリーの米国なのだ。
しかし当時のアメリカは領土拡大の真最中で1845年にメキシコからカリフォルニアや
テキサスなど奪い、1898年にはハワイを占有し、次にはスペインにイチャモン付けて
フィリピンを領有、ついでにグアム、ウエーク、サモアなど抑えて太平洋に遠慮のない
侵略をしていた。日本にも的を絞り寄港地として開国を迫ったのは、いずれ属国として
意の向くままに、太平洋の制海権を独り占めにしようとする戦略の一環だったのだろう。
途中に南北戦争(1861−65)があり頓挫するが、内戦が終わって、20世紀初頭には
グアム、フィリピンを結ぶ線を新国境と定め、兄弟国イギリスも認めて英艦隊を撤収し
米英の仮想敵国はアジアに進出してきたロシアになり、日本への関心は薄れていった。
日本は明治になり廃藩置県、富国強兵、殖産興業など、国づくりに明け暮れていた。