日米間に思うこと(7)

1914年オーストリアのハプスブルグ家の皇太子がバルカンのサラエボで暗殺された。
それが発端になった第一次世界大戦でイギリスと同盟関係にあった日本に欧州の戦場に
派兵要請があったが、日本はそれを断り、どうでもいいような当時のドイツの占領地の
中国のチンタオや南洋群島を攻略して、お茶を濁した。地中海に数隻の軍艦を派遣したが
海軍より陸軍の、せめて一師団一旅団でも派兵していたら日英同盟は続いていただろうし
同じアングロサクソン国家のアメリカとの関係も良好になれた、千載一遇のチャンスを
生かせないヘマをした日本の指導者たちは、世界を見る目の狭さに、進路を見失っていた。
日清、日露の頃の指導者たちは、伊藤、山縣、大山、東郷、乃木、児玉など幕末の時代を
苦労した志士の生き残りだった。机上の勉強より実践から得た知識で日本をリードした。
明治も中頃を過ぎるとエリートと称する官僚たちが実権を握り始め、それらが道を誤る。
そんな意味でも現在のイラク派兵は正しいが、それに反対する人は歴史を知って欲しい。
人と人の付き合いも、国と国の付き合いも、一旦こじればどんどんと深みに落ちていく。
アメリカも日本に思い入れが大きかっただけに、憎しみも加速されていった気がする。
大戦後アメリカの主導で作られた国際連盟で日本は人種差別を止める「人種平等案」を
提出して世界の大半の賛同を得るが、白人国家の反対やアメリカの拒否で廃案となり、
日本の世論は反米になってますます距離が遠のき取り返しのつかない事態となっていった。
「人種平等」は正論だが、世界の植民地問題やアメリカ国内の人種問題をよく考えないで
提起すること自体が世界の白人たちの気持ちを逆なでするように日本の孤立を深めていく。
相手への「思いやり」がいかに大切か、歴史を通じて思う。