日米間に思うこと(8)

私が生まれた昭和の始めごろは全国津々浦々に桑畑が点在し養蚕農家が何処にも見られた。
明治以来、国是の富国強兵、殖産振興の柱は輸出を伸ばし経済を発展させることは使命だが、
その輸出先の一番のお得意さまはアメリカで主要輸出品目のトップは絹の材料の生糸だった。
ところが昭和4年(1929)に世界的な大事件が起きた。アメリカの証券取引で株が大暴落し
その影響で大量の失業者たちがあふれ、ヨーロッパにも波及して世界大恐慌が起きてしまう。
世界のリーダーたちは、嘗て無いほどの空前絶後の大不況にどのように対応したのだろうか。
アメリカは自国の産業を守るために鎖国的な貿易の封鎖をし、イギリスは自国の領土だけの
英連邦より他国を排し、日本の輸出、特に生糸は大暴落して全国の養蚕家を直撃し折からの
自然の災害も重なって、農家は生活苦のため「娘を身売り」するような惨事を極めた。
米英など他国の迷惑を考えずに、自国の利益にのみに走った事が、日本の政策にも影響して
満州や中国の市場を求めて、政府や軍部の拡張路線に国民は賛同するようになっていく。
平和までも損なうような貿易の不均衡の調整役の「GATT」の仕組みはまだ無かった。
資源が無く貿易によってのみ生きる道しかない日本は米英に首根っこを押さえられた経済
の反省から、経済圏の拡大にチカラを注ぐようになるが、米英から見れば小国の、しかも
有色人種の日本の行動が不気味に映ったに違いない。やがて経済封鎖が厳しくなっていく。