日米間に思うこと(9)

世界から見れば小生意気な日本が、満州で事変を起こしたり、国際連盟からも脱退したり、
欧州で嫌われ者のドイツと手を結べば、悪い連鎖のように大多数の国々から孤立していく。
やがてアメリカは日本に対して石油禁輸の措置をとり、ABCD(米英中蘭)包囲陣として
各国が徹底的な経済封鎖と日本の南進を阻止する戦略に戦争は避けられない情勢となった。
ヨーロッパでは日本の同盟国ドイツがロシアと共謀してポーランドに侵攻し、大戦が始まり
日本もアメリカと決戦すべく、ハワイに向けて連合艦隊がエトロフ島から出航していった。
1941年の晩秋のころだった。そして12月8日未明に宣戦布告の勅諭が全国に流された。
日本軍の艦載機はハワイの真珠湾の米軍基地に繋がれていた主要艦に大打撃を与え緒戦は
大成功だったが、そのとき日本の在米大使館の役人は取り返しのつかない大きなミスをした。
国際社会のルールも、戦争をする時は宣戦布告をしてから戦うのが常識で、合法的なのは
当たり前のことだが、宣戦布告を米政府に伝えるべく前日に大使館に電報で知らせたのに
その日は人事異動のパーティで気が付かず、翌日にようやく電報を解読して、野村大使が
国務省に届けたのは、真珠湾攻撃が終わった85分後の事だった。時既に遅かった。
アメリカは怒った!アメリカにしてみれば日本の卑怯な不意打ちの行為であり、人々は
「リメンバー・パールハーバー」の合言葉に一致団結して、日本と戦う意思に燃えさかり
それは戦後になっても語り継がれて、日本に対する不名誉な言葉を後世に残した。
しかも戦後になっても彼らの失態を追及もせず、それどころか出世したのは解せない。