日本の国防

世界の国々はどこも「軍隊は国の財産」と思っている。人の本能に闘争心がある以上
考えるのは当然で戦闘集団をわがことのように大切に思い、その功績に対し最大限の
名誉と尊敬で報いている。それが世界の常識と言うべきだが、日本は果たしてどうか?
自衛隊違憲である」の亡霊が戦後の日本人の身体の中に沁みて自縄自縛の状態から
抜け出せないジレンマに身動きがとれないのが現状だ。先日の国会でも、もし北朝鮮
テポドンを発射したら着弾10分間で自衛官の判断で迎撃ミサイルで処置すべし、の
提案に、民主党社民党は国会の承認を得てから、なんて時代劇的な答弁があったが
国を守る、国民の命や財産を守る、といった国会議員の資格を問われるような人たちだ。
たしかに国防はお金がかかる。日本の空を守るF15戦闘機は一機約100億円、それが
約200機だが維持費やパイロットの養成費など計算すると、その倍の額が必要となる。
イージス艦は1200億円、戦車は80億円、ミサイル一発2億円、発射基地を含めると
20-30億円、兵器その他経費の別に、人件費は一年に2兆円近いとも言われている。
それほどまでしての国防の意義は外からの抑止力に繋がっているのは言うを待たない。
世界の流れは徴兵制から志願制に変わりつつあると言われているが、それは経費の
問題と機動化され大きく重い軍隊よりも軽く小人数で超プロフェッショナルな集団を
目指している傾向にあると思う。ただ徴兵制の持つ意味は愛国心の鼓舞と経験による
若者の道徳心にはとてもいい制度で日本も導入出来れば、最近のイビツな犯罪予防に
繋がるかもしれない。それには憲法の改正が必要だが本心はそうであっても手続きが
難しく民主主義とは理想は素晴らしいが、なかなか厄介な手順を踏まないと出来ない。
近隣諸国から執拗に責められるのは憲法9条の条文が災いの元とは言うまでもない。
自衛隊は死ににいくのではない。仕事をするためであって多少の苦労や危険は伴うが
人のため、国のために働く姿は民主党だって社民党だって人間なら共感が沸くはずだ。
自衛隊を政争の道具に使うようでは、日本が滅びる。