賞与

私が小僧時代を経験した昭和20年代は、盆正月に衣類一式と金一封をいただいたのが
賞与のかたちだった。出来高払いの職工さんには今でもボーナスを貰う習慣が無いのは
現実だが、ボーナスの入る幸せは、ある意味ではサラリーマンの特権かも知れない。
ボーナスシーズンの来るたびに、払う事はあっても貰った事がない私はとても複雑だ。
本来のボーナスを払う意味は経常利益の余剰金を、それを生み出した従業員に分配する
ことだが、現在では会社の業績に関わらずに年間所得の一部に繰り込まれている。
役所や特殊法人など利益目的のない組織でも賞与のカタチがあるのは本来の意味では
解せないところがあるが、今の社会の仕組みや習慣がそうさせているのだろうか。
それでも今は勝ち組負け組みに象徴される競争社会だから賞与の額は何億からゼロまで
その格差は凄まじい。先日の新聞記事によれば、例えば金融機関の役員賞与の場合だが
日興証券5000万、三井住友海上4530万、損保ジャパン4130万、大和証券3630万
住友信託3090万、三菱東京3010万、野村證券3000万などが勝ち組で、下位では
UFJ640万、りそな540万だそうだが、それでも一般庶民からは、ためいきがでる。
銀行に預金しても利息は無し同然で、国から公的資金を受けながら、それでも役員は
取るものは取っている姿に、怒りを通り越してこの拳をどこへ持って行けばいいのか。
この不況の時代に貰えればシアワセかも知れない。賞与無しの会社がゴマンとある。
話しはそれたがボーナスに関わる話題は嬉しいものが多い。娘が勤めに出て初めての
ボーナスで買ってくれたシャツは今では古びたが、私にとってオタカラになっている。
広辞苑に賞与とは「賞として金品を与える事」とあった。私の生きた賞はなんだろう。